banner-mobile
自由
自由
私が体験してきたこと 学校編② ※急に本編(?)が始まるので、これを見る前に【私が体験してきたこと 学校編①】を見て登場人物や前書きを確認してください。お願いします。 ★小学4年生 この頃の私は病んでいました。毎日ボーッとしていて、〇ぬことばかりを考えていました。「自殺」という言葉を反芻して毎日を送っていました。 さておき、4年生の頃にあった嫌なことを話します。金曜日の3時間目辺りに毎回やってくる、外国語の時間。私が1番得意な科目の授業です。そこでは他の授業以上に手を挙げてました。勿論降谷に怒られますが。 その日は、「なりたい職業」を学習していて(policeとかfirefighterとか)、ALTが「Let's play a game!」と言いました。ルールは超簡単。ALTが小さい紙切れを1人ずつに配っていきます。そこには全8種類くらいの職業のイラストのうちどれかひとつが印刷されています。そしてALTが職業カードをシャッフルして誰かをテキトーに指名し、指名された生徒がALTからカードを1枚引きます。そのカードに描かれたイラストと同じイラストが印刷されている紙を持っていた生徒がシールを貰えるという運ゲーです。 しかし、実際は運ゲーではありませんでした。なんと、ALTのカードは紙の性質のせいか、イラストが透けていたのです。つまり指名された生徒は、必ずシールをゲットできるのです。23人中なぜかミュージシャンの紙を持つ生徒がクラス9人くらいいて、最悪なことに、指された生徒はほぼその9人のうちの誰かでした。ミュージシャンばかり当たるので、ALT以外は指名された奴らがわざとカードを選んでると気づきました。 そして…ゲームを進めるにつれて、ミュージシャン以外の職業を持つ子の中に不機嫌になる子がチラホラ出てきて現場の空気は悪くなっていきました。そんな中、カードを引く最後の1人に私が選ばれてしまいました…。ちなみに私はミュージシャンではないのでシールは貰ってません。じゃあ私の職業を…とはなりませんでした。シールを貰いに行くミュージシャンメンバーを見て気づいたのです。イジメンジャーのほとんどはミュージシャンだと。もしここでミュージシャンを引かねば彼らに文句を言われるのは決まってました。しかしミュージシャンばかり出ているこの状況を打破したい気持ちもありました。とはいえ、ミュージシャンではない残り7種類の中でどれを選ぶのが正解なのでしょうか。あまりにもミュージシャンばかり引かれているので、他の職業についてはどの職業が何人なのか分かりません。まごまごしているとイジメンジャーに急かされました。 そして引いたのは、ミュージシャン…。私は結局「もうこんなにミュージシャン出てるんだから良いでしょ」と開き直って引きました。すると不機嫌になっていた他の職業の子たちが「マジでふざけんなよ何で一回も当たらねぇんだよ!」と嘆いたあと「〇〇ちゃんがコレ引かなかったせいじゃん!!」とか「〇〇ちゃん、最後くらい違うの引いてよ空気読めないの!?」と口々に私のせいにし始めました。イジメンジャーの中でミュージシャンじゃなかった茜。すごく私に怒ってました。 更には「奏ちゃんがミュージシャンだったから引いたんでしょ!」という輩まで出てきました。カード1枚引くのでこんなに言われるクラスにもう嫌気がさしました。後ろで見ていた担任が「〇〇さんのせいではありませんよ!」と言ってくださったものの、病んでいた私にはなんの励みにもなりませんでした。そしてこの頃から授業中に挙手するのを控えるようになりました。 もうひとつ。理科の実験キットでコイルで磁石を作る?みたいなのをやっていたある日のこと。チャイムがなっても片付けないで楽しんでいた私に「もう終わりだよ」と島崎が言いました。「あーあもうちょっと遊んでたかったのに」と思いつつ黙っていたら急に島崎が「うわあ最低だ!」と言い残りのイジメンジャーを招集しました。何が何だか理解できなかった私は気がつけば彼らに四方を囲まれていました。 そして島崎は「コイツ俺が注意したら舌打ちしてきたんだけど!どう思う!?何か言ってやれよ!!」と言いました。私は「やってないよ」と言いましたが誰も聞いてくれません。呼ばれた子たちの中には、比較的マトモだと思っていた男子、健太がいました。彼は「舌打ちなんて最低だぞお前」と言い詰め寄ってきました。私は誰も信じてくれない悲しさに胸が張り裂けそうになりながら、黙って皆の「お前ひでえな」とか「性格終わってる」とかいう主張を聞いていました。島崎は嬉しそうでした。 ショックだったのはここから。そこに奏がやってきて、何があったのかを聞くと島崎は「コイツが舌打ちしたんだ、俺はただ片付けをするよう言っただけなのに」と言いました。私は勿論無実を主張しようとしたのですが「ねぇ、〇〇ちゃん、それはどうかと思うよ」という発言で「ああ、信じてくれないんだ」と感じてもうどうでも良くなったのです。 今度は、バレーボールの授業での話をしますね。ある日、体育でバレーをやることになりチーム分けを行いました。私は降谷と島崎、その他2人と一緒になりました。まず島崎が「うわあ最悪〇〇と一緒かよ負けるじゃん」と言いました。「はいはい、すいませんね」と思い、「いつも通りの性格だなあ」と流してました。 私はボールに対する恐怖心もすごい上、オーバーとアンダーをしっかり理解できてなかったのでバレーボールも下手くそでした。チームごとの練習時間になった時、円になってパスし合ってました。私はただでさえ上手くないのに、時折来る早いボールにビビって手が出ませんでした。するとそれを見かねた降谷が「ねえ〇〇ちゃんやる気あんの!?もう俺やりたくないんだけど!!ボール全然違う方向に返すし、たまにビビるし返すの遅いし!上からのやつは全然ボール追いかけられないし!!マジでやる気失くしたわ!」と怒鳴りました。 すると彼はいきなりボールを私目掛けて投げてきました。思いっきり横腹に当たり、私が困惑していると、さらに彼は全力で私目掛けてボールを当ててきました。少年野球チームに所属している彼のボールなど私からすると見ているだけで怖くて、今度は私の腰に当たりました。結構痛くて動けないでいると「ほら!!全然手が出ない!ボールを見てすらいない!オラッ(また投げた)、怖がりすぎだろ!!ほんとムカつく!オラッ(投げた)」と言われ、次々に腕や脚や頭や顔にボールを当てられました。島崎も「やる気ねえんだよこいつ」とか言いながら少し参戦していました。泣きそうな私が先生に目をやると、先生は全く気づいてない様子でした。 後日私は月末アンケートで「あなたは今月いじめにあったり、いじめを見かけましたか?」という欄にそのことを記入しました。そして即先生に呼ばれて事細かく事情を話しました。先生は「え、そんなことされたの!?」と言うので「はい、運動音痴な私も悪いんでしょうけど…流石にボールを何回も何回も当てつけてくるのは傷つきました。降谷に関してはわざわざカゴのところにボールを取りに行って投げまくるんですよ。どうにかできませんか」と話すと先生から「先生も手に負えないから、彼らがお子ちゃまだと思ってあなたが我慢してね」と言われて終わりました。 ★小学5年生 ※お食事中の方は読まないことをオススメします。 まず、「フケ事件」と私が呼んでいる出来事について話します。私は小さい頃から、何かを考える時に頭をかく癖がありました。ある日の休み時間に頭をかいているとフケがパラパラ落ちてきました。当時の私は「ん?なんだこの塩みたいなの」と思い、一心不乱にかいてみました。まあ学校でやらないのが普通ではありますが、どうせ私に興味あるやついないんだし誰も見ていないだろ、と思っていたのです。 しかしすぐに犬山に見つかりました。彼は「おい!ちょっと来てよ!見て見て見て見てコイツ頭汚ぇぞ!」とイジメンジャーを招集し、机上に少したまったフケを見た彼らは「うわあこんなに出るのかよ」と言いました。そして皆その場で俺なんて全然でねぇぞと言いながら俯いて頭を掻き始めました。私は彼らを見て、頭を思いっきり掻くという目立った行動をした自分を強く恥じました。最終的に彼らに「お前普段から頭洗ってないだろ」と言われ「え、洗ってるよ」と言いました。 私は小さい頃からずっと、2日に1回洗ってました。彼らは「毎日洗うのが普通だよ、毎日洗えば出てこないよ」と言うので「なるほど、あの塩みたいなのは汚れか。毎日洗えば出てこないのか」と思いました。しかし、毎日洗ってもシャンプーを1日2回にしても、1度に使うシャンプーの量を増やしても改善されることはありませんでした。そして彼らは、その日以降、休憩時間になると私の所へ行き「お前頭かいてみろ」と言うようになったのです。渋々従えば出てくるわ出てくるわ。そして私は「相変わらず汚ぇな」とか「よく洗わないでいられるな」とか言われ、遂には「フケ女」と呼ばれるようになりました。 ある日、泡を洗い残したのか、いつもよりフケの量が多く、さらには大きなフケもある状態になっていました。頭をかいていなかった私はそんな事を知らずにいると、1人の女子がやってきて「〇〇ちゃん、お砂糖みたいなの頭に沢山あるよ」と言いながらひとつひとつ摘んで取り除き始めたのです。「お砂糖」という言葉を脳内で反芻しながらその優しい手つきを肌で感じていると、犬山らが来て「ああ、それフケだよ。ソイツ頭洗ってないから汚ねぇの」と彼女に言い放ちました。彼女は優しい子だったのでもし私が不潔だと思われたらと怖くなりました。とりあえず「いや、洗ってるんだけどさ…どうもフケが出てきちゃってね。洗い足りないんだろうな……」というと彼女は「じゃあシャンプーが合わないのかもね!変えたらどう?」と言いました。私は驚きました。それで改善する余地があるのかと。そして家に帰るとすぐに母にそのことを伝え、即買いに行きました。すると、私のフケの量は圧倒的に改善されたのです。今でもそのシャンプーを使っています。 お食事中にも関わらず読んでくださった方、もう大丈夫です。お騒がせしました。次は、「水泳事件」です。小学校の体育ではなぜか1つ上の学年と合同授業をする時がありました。勇気が出ないせいで泳げず水中散歩をする私を見た1人の先輩が「お前だけズルしてんじゃねぇよ」と言いました。さておき、6年生の先生は私が明らかに怖がっているのをみて、私に「自由時間になったら、浮く練習しよう」と言いました。その先生は関わったことが全くなく、結構男勝りと称されていたので何をされるのか不安でしたが、優しく丁寧に教えてくださいました。 私はまず、プールのへりに捕まって浮くように言われました。それさえも怖かったのですが、先生の優しいサポートがあったおかげで安心してできました。次に、「先生と両手を繋いだ状態で浮いてみて」と言われました。怖がっていると「プールの壁に足の裏が着く状態なら怖くないでしょ」と言われ、確かにと思い、腹ばいで両手を繋いで浮く状態まで持ってこれました。すると先生が「じゃあプールを歩くから力を抜いてね」と言うので、また父みたいに途中で手を離されないかと思い泣きそうになりましたが「絶対に離さないから。力が入っていると上手く浮けないの。先生に体を預けて大丈夫」と言われてすごく安心できました。少しでもできると先生に褒められて嬉しくなっていると、今度は「じゃあ背中で浮く練習もしよう」と言われました。プールの底を見ないのは本当に怖かったのですがそれでも先生は優しく支えてくれました。 しばらくすると私は先生に手を取られながら、嬉しさいっぱいで空を眺めていました。すると飛び込み台にしゃがんでプールを見下ろしている数人の先輩たちがゴーグル越しに見えました。彼らは何をしているのだろうと思っていると「先生(私を支えている)、ママみたいだね」と言って笑っている声が聞こえました。先生は「確かに」とテキトーに返事してました。するとわらわら先輩たちが集まって来て、「小さい子とママの練習を見てる感じ」だとか「小5になって今更浮く練習www」とか色々聞こえてきました。先輩たちに「何してるの先生?」と聞かれると先生は「浮く練習をしてるの」と答えました。すると、彼らは爆笑しました。「俺たち皆泳げるのに!」とか「泳ぐ練習してこなかったんだろうね」とか聞こえて、「ああ、彼らはママみたいになっている先生を笑ってるんじゃなくて泳げない私を笑っているんだ」と理解しました。私は最後までプールに残って練習をしていたので6時間目の家庭科に遅刻しかけました。教科書を見ることに集中し、さっき笑われたことを忘れようとしましたが視界が涙で歪んでいき、黙って泣かないようにしていました。 帰宅してそのことを母に話すと「なんでその場で先生に言わなかったの?」と言われたので「泣きそうだったし次の授業に遅刻しそうだったから」と返せば、連絡帳に「水泳の時間に6年生に笑われたのが嫌だったそうです。」と書きました。翌朝にそれを提出すると担任はどこかへ行き、すると「おい!昨日の体育で〇〇のこと笑ったやつとっとと出てこっち来い!!」と隣の教室(6年生の教室)から6年生の担任の怒鳴り声が聞こえてきました。そして朝の会が始まる前。戻ってきた担任に「〇〇さん、ちょっと生活準備室へ来てください」と言われました。 そこへ入ると私は息を呑みました。なぜなら、そこには沢山の6年生が俯いたまま立って円を作っていたからです。私は8人くらいに笑われたと思っていたのに、実際生活準備室にいたのは、学年のほぼ全員でした。円の中心に立たされた私が「泳げない私はそんなに面白かったんだ」というショックを受けていると、6年生の担任は「はい!皆一人一人謝れ」と言いました。1人1人がぼそっと「笑ってゴメンナサイ」と言いました。私は「イイデスヨ…」と言っていきました。すると6年生の担任は「あのね、誰だって苦手なものはあるの!実際泳げない子だっているの!本人は一生懸命やってるんだから、馬鹿にするんじゃなくて、応援するのが普通でしょう!二度とやんなよ」と強く言ってました。「はい…」と言った先輩たちは次々に教室に戻りました。 私はそこであの縄跳びの出来事を思い出し「私は二重跳びの練習に付き合って、できるようになるまで応援するのが一番の正解だったのか?」とか、帰る彼らの後ろ姿を見送りながら「なんか相当大事にしてしまったなあ」と思っていると、彼らの担任は言いました。「先生が勝手に始めたことだ、いろいろと考えてやれなくて、先生も本当に申し訳なかった。」と。私が、いやいや寧ろ感謝していますと思っていると「ただ、嫌なことがあったら日をまたがずにすぐ言うんだぞ」と言われました。 ★小学6年生 …そんな先生がまさか担任になるとは思っていませんでした。私は水泳の時を思い出して「優しい先生が担任でよかった」と感じていました。しかしその思いは学力診断テストの結果発表の日に崩れ去るのです。 先生は、「はい、学力診断テストで上位10人を発表します。」と言いました。発表後「それ以降の順位の生徒で何位か知りたい場合、もしくは自分がどの教科で何点とったかを知りたい場合は先生の机に並んでね、こっそり個人成績表みせるから」と言いました。 私は黒板係だったので黒板を消していました。たまたま先生の机付近で黒板を消していたら先生に「何勝手に覗いてるんだよ!あっち行け、しっしっ」と言われました。私は舌打ちとか荻野が好きとか、どうしてこうも決めつけられるのかと思い、もう悲しさが込み上げてきて、泣きながらまた母に報告しました。その日の放課後、たまたま忘れ物を取りに学校へ行き、ついでに母がそのことを担任に言いました。すると担任は私を呼んで全力で謝り、抱擁しました。 しかしこれで終わりではありませんでした。私はまた疑われたのです。卒業間近であったある日の放課後、健太は「けんバカ 〇〇ー」と言う落書きを校庭で見つけました。次の日、私が来た瞬間「お前健太の悪口書いたろ」とイジメンジャーを中心に言われました。勿論、勿論やってません!私は学校から遠めの所に住んでいるし、放課後遊ぶ約束などしないのです。「〇〇ー(私の名前に似たような感じ)」と書いてあるのが証拠だと言われましたが、そんなに分かりやすく犯人の名前を書く人がいるのでしょうか? ここまで読んでくださりありがとうございます^_^ 【私が体験してきたこと 学校編③】で一旦終了します。
自由
私が体験してきたこと 学校編① 【前置き】 こんにちは😊最近今まであった嫌なことを思い出してしまい、カウンセリングを受けようか悩んでいたところ、ゲームの広告でこのアプリを知り今日から利用を始めてみました。 今までどんな事があったかここで全部書くつもりですので(学校のことを)とても長いですがご理解いただけますと幸いです。 暇つぶしにはもってこいなくらい長いです(?) また、時系列順に書けるよう頑張ったつもりではありますがそれでも色々順序がおかしい所や誤字、言葉の使い方のミスなどが目立つかもしれません。大目に見てほしいと思ってはいますがご指摘してくださっても構いません。もし不明な所がある場合、疑問に思ったことがある場合は是非コメントしてください。 次は、【私が体験してきたこと 学校編②】を投稿します。長さの関係で入り切らなかった…… ⚠️注意⚠️思ったことを全部正直に、包み隠さず書いたつもりです。怒りの当てつけがてらその人を煽るような文があります。読む人によっては、それ以外の部分でも口が悪いと感じる所や不快にさせてしまうような部分があると思います。 それでも大丈夫な方はどうぞ。 【登場人物 (多いです🙇名前の人と苗字の人混ぜてます。全員偽名です。嘘の名前を作った理由は書いている私が誰のことを言っているかを把握するためです。)】 ・私⋯名前を〇〇とする 小学生の頃から知り合ったメンバー👇 ・奏⋯私の一番古いお友達 ・翔多⋯イジメのボス。男子の友達がいっぱいいる ・上田,犬山,島崎,京介 ⋯翔多の友達。上田は第2のボス。島崎は第3ボス。犬山は先生にトラブルメーカーだと言われていた。恐らく小4、5辺りで私の胸を2回触った男子である。京介は近所に住む子。 ・降谷⋯萩野と同じスポーツクラブに入っていた子。翔多の友達。喧嘩っパヤイ。 ・茜⋯サバサバ系女子? ※ここで、翔多~茜を「イジメンジャー(イジメ×イツメン×〇〇ジャー)」とする。 ・健太⋯あまり関わらない男子 ・荻野⋯小学生の頃兄と同じスポーツクラブに所属していた。 ・弘人⋯トラブルメーカーと先生に称されていた男子。犬山と仲が悪い。 ・広川⋯私が友達だと思ってた女子 中学生の時に知り合ったメンバー👇 ・富沢⋯友達“だった”子。正直苦手な所があった。 ・舞⋯〃。3年間同じクラスだった。 ・夢⋯ぶりっ子 その他 ・先生(〇年生の頃の先生 等と表記します) 【幼稚園児の頃の私】 私は幼稚園児の頃、よく笑う子だった気がします。実際小さい頃は笑顔で写っている写真が一定数あります。 しかし今では笑うことが減り写真は大嫌いになってしまいました。笑顔をしなさすぎて、テレビやネットの動画を見て少しでも笑うと頬が痛くなってしまいます。また写真は、仲がいい子たちかつ少人数でない場合受け付けていません。 当時の私は今とは逆に、ある程度お喋りで活発的だったと思います。幼稚園に友達が沢山いました。 休みの日には親戚にしょっちゅう遊びに行っていました。この頃は毎日が楽しかったです。私の兄がたまに殴ってくることを除けば。 【小学生の頃の私】 私は卒園後、すごくワクワクしていました。私の友達は奏以外みな違う小学校に行くと知り悲しかったのですが、クラスメイトのほとんどが私と同じ幼稚園出身の子たち(幼稚園で関わったことはほとんどない)であるし奏がいれば大丈夫と思っていました。 しかし実際の生活は私の理想と大きく違いました。登校初日、翔多と上田から睨まれました。理由は“目が合ったから”。私は最初「おー、怖(笑)」と軽く受け流してましたがここからが地獄の始まりでした。 ここからは、1年区切りで「この歳で学校で体験した特に嫌だったこと」を中3まで書いていきます。 ★小学1年生 小学1年生の頃の「特に嫌だったこと」は無いので(ないんかい)、小学校生活6年間よくやられていた事をここに書きますね。 まず、先述したエピソードです。ほぼ毎日、目が合った翔多や上田に睨まれ「何見てんだよキモっ」と言われていました。上田がすぐ反応してました(笑)。皆さんは生活の中で一瞬誰かとパチッと目が合う瞬間を毎日体験していることと思われます。その瞬間なのです。彼らがいつもこんな態度をとってきたのは。要は私が実際に彼らを観察している訳ではないのです。偶然なのです。絶対私以外にも彼らと目を合わせた経験がある人は学校にいっぱいいるのに私にだけこんな態度なので、当時私はヤ〇ザに「何ガン飛ばしてんだよ」って言われた気でいました。私の通う学校は各学年が1クラスに収まる小さな学校で、私のクラス兼学年は23人くらいしかいなかったのです。それで彼らと目を一瞬たりとも合わせないで毎日過ごすなんて無理だしこちら側に非は無いので私は毎日「なんか用かよ」とか「こっち見んな」とか何を言われようとスルーしてました。 ただ、目が合うことが多いと彼らは先生や犬山や京介らに「〇〇ちゃんがよく俺らのこと見てくる、マジでキモイんだけど」と嘘を伝えるのです。それを聞いた彼らは「うわあ⋯最悪じゃあん」と同情し嫌悪感むき出しの眼を私に注ぐのです。幸い先生は「えー?ほっといたらー?」みたいな感じでスルーしてたので大事にはならなかったのですが、その先生はたとえ嘘であれ最初に聞いた情報を何故かすごく信じる人だったので、私の株は彼女の中で相当下だったでしょう。 次に、降谷が約6年間、“今日は私が授業中に何回挙手して何回指されたか”をしょっちゅう数え、10を超えると翔多と共に愚痴るという行為を頑張っててそれに付き合わされました(笑)。私はただ、挙手と言われたタイミングで、分かる問題の時のみ挙手していただけです。彼らは「俺たちに考える時間をくれ」だの、先生のさじ加減だと思うのですが「お前ばっかり指されてる!もう上げるな調子乗りやがって」だの言ってくるのです。翔多に関しては私が小さく「うん」と言っただけで「授業に集中できない!さっきからうるさいんだよお前」と言うくらい荒れた性格の子でしたw 最後に。私は運動音痴で、イジメンジャーらに「こいつがヘマしたから負けた」としょっちゅう言われておりました。というか運動音痴というより怖がって思いっきりチャレンジできないのです。怪我したらどうしよう、そればかり考えてしまうのです。先生が「プールで走ると滑って…」という風に注意喚起をすれば「なんでそんな危険と隣り合わせなことさせるんだよ!やりたいやつだけやらせてくれ!!」とか「最悪死ぬんだ最悪死ぬんだ…全然練習してないのに……下手したら病院送り…」とあれこれ考えてしまうのです。 イジメンジャーは私さえいなければ楽しく試合してます。先述した通り少人数のクラスなので、私は6年間、運動会の練習も体育の時間もイジメンジャーの誰かと必ず一緒のチームでした。基本彼ら7人のうち2、3人と一緒でした。練習試合にて、その2、3人はまず「最悪〜絶対負けるじゃんやる気失くしたわ」と必ず言います。それで仮に勝った場合は私抜きのメンバーで喜び、負けた場合は一緒にならなかった約4名を招集し「〇〇ちゃんがあそこで転んだから負けた」とか「コイツ、足遅いんだもん」と私を愚痴り、それを聞いた約4名は「確かに〜」と同情するのです。要はリーグ戦の場合は1位以外文句を言われるのです(最低1回は負けるから)。総合結果が4位以下だと更に文句を言います。ちなみに私が何もヘマせず負けた時は「〇〇ちゃん全然やる気ないんだもーん」です。結構いると思うのですが、体育の時に熱くなっちゃってゲームでヘマする子に対して「違う!!こう!!」と強く言ってしまう人とかならまだ、まだ分からなくもないです。職場で自分より効率悪い人を見るとイラつくタイプですねきっと。まあ私は、じゃあお前完璧にこなせるのか?とどうしても思ってしまいますが。後で話しますが、実際中学の時に体育で熱くなる子がいました。(中学校で、体育で熱くなって口調が強くなってしまうのはいじめにもなりうるから注意だと言われました) 春?になると、縄跳び集会への練習が始まり、そこで体育の時間にたまに大縄跳びをします。8の字飛びなので、引っかかったら即ストップされ、先生と彼らに何か言われます。私は怖がりな上本当に大縄が下手で、あの太縄で何度も体を打ちました。それが結構痛くて本当に嫌で毎回毎回「次の体育大縄ね」と言われたら泣きそうでした。イジメンジャーは大縄が好きなので、最悪でした。仮に序盤上手くいっても持久力がないので走り疲れてタイミングをミスしてしまうこともあります。疲れているのにキレかけの先生にぶつくさ言われるのは本当に苦痛でした。 8の字ではなく皆で跳ぶ場合も地獄でした。体力はないわ、ジャンプ力はないわ、タイミングは上手く測れないわでもう最悪でした。休み時間に友達同士で縄跳びを繋げて大縄の練習をしてみても上手くいかないし、それどころか他の子が「入れて〜」と混ざってくるものですからやりにくかったです。大縄になると女子たちは開始前から泣きそうな私を憐れむ目で見ますが、だからといって大縄から逃れることはできません。ちなみに回す役になる事も考えましたがすごく人気である上、回したい子の中に私と同じくらいの身長の子がいなかったので諦めていました。 夏。イジメンジャーの大好物、プールがあります。私はカナヅチといいますか、水に浮くのが怖くてしょっちゅう固まっていました。そして彼らに「早く泳げよ」とか色々言われました。 秋は運動会。どの競技も嫌でした。「嫌ならば、努力すればいいだけ」かもしれませんが、勝敗があるこのイベントはどうしようもありません。負けた時イジメンジャーの中で京介と翔太と島崎が主に私を愚痴っていました。練習でも予行でも本番でも色々言われました。私は足が遅いので徒競走でビリばかりとってました。また台風の目のジャンプのタイミングが苦手でした。この2点がチームの敗北に繋がったと彼らは主張するのです。他の競技は勝敗に関係ないんですかね…。あ、そうそう、言い忘れてましたが、他の子はミスしても特に彼らに何か言われることはありませんでしたよ。 そしてレクリエーション、通称お楽しみ会は私からすると「何がお楽しみだ」という感じでした。ほぼ毎回ドッヂボールとケイドロであり、ケイドロはまだしもドッジボールで私はしょっちゅう開始直後に狙われすぐやられてチームに大きな負担をかけてました。ちなみに私の学年は人並みもしくはそれ以上のレベルで運動できる子がほとんどで、イジメンジャーはみな運動が得意な子達でした。 逆に彼らは私より勉強ができなかったのですが、だからといって勉強はチームワーク要素がなく私が煽り返せる場面はないし、実際煽っても楽しくないので体育で煽られても我慢してました。通知表を返す時彼らの何人かと毎回、「ねえねえ〇〇ちゃんってCないでしょ?」→私「あるよ」→「えー!?なになにー!?」→私「体育」→「あー!確かにそうだねー!!^^ねえねえ聞いてー!〇〇ちゃんCあるんだってー!!😙」ってやり取りをしてました。よく毎年このくだりできるなあと思ってました。 それから彼らは約6年間、こんなこともしてきました。何度も言いますが我々は6年もの間クラス替えなしでずっと約22名と過ごしていたので、全員誰同士が仲良しであるかを大体把握しています。私は6年間ずっと奏と広川と友達でした。そしてイジメンジャーは私たちを「仲良し3人組」と呼び、なぜか我々3人が仲良くしているのが気に食わないという態度を小学校生活においてずっと示してきたのです。私だけでなく彼女らにも何かあると嫌だと不安を煽るので、彼らの態度には本当に腹立ちました。 例えば、係決めの時やイベント(社会科見学や遠足)の班決め。皆勿論仲のいい子同士で集まりたがります。我々も彼らも同じでした。しかし彼らは私たちのグループだけにやけにキレながら愚痴を言い続けていたのです。彼らは自分たちのことは棚に上げて「お前らまた一緒なのかよ」、「違う人とも組みなさいよ」、「ずっと仲良ししててキモい」などの発言を浴びせてきました。係決めに関しては、「この係をやりたかったのにアイツらに取られた」とか「3人担当の係をやりたかったのに毎回アイツらが取ってくる」とかそういう理由はなく、どの係を選べど、2対1で分かれたとしても愚痴られました。また、たまにですが休み時間などに我々3人の後ろにイジメンジャーの何人かがわざとついて行き 私「今日はいい天気だね」 イジメンジャーの誰か「今日ハいー天気だねェww(裏声)」 という風に真似してくることもありました。絵を描いてたり粘土であそんでいる時、彼らの何人かに「うわつまんなさそうな遊びしてんな」と言われたこともあります。 彼らはそのような「お前らが仲良しなの嫌です」発言をしょっちゅう私だけに言っていました。本当に“私だけ”とは言えないかもしれませんが、聞いた限りでは、2人は特に何もされなかったそうです。それが私にとって不幸中の幸いでした。 あと、たまにですがこんな事もありました。荻野と私の体型が似ているせいか、私たちを「ジャイ子とジャイアン」と称してお似合いだとかほざくイジメンジャーの組員がいたのです。しかも勝手に「好きでしょ」と決めつける輩までいました。 ★小学2年生 奏と一緒に掃除してただけで「あなたたちくっちゃべってないで掃除しなさい!」と先生に怒られました。実際私達は全く喋ってません。私はホコリを取りつつ少し小声で話しているクラスメイトたちの会話を盗み聞きしていただけなのです。奏も私の近くにしゃがんでゴミを探してただけなのです。 明らかに周りの方が喋ってました。ですが当時の先生は「そこぉ!真面目にやりなさい!」と私たちめがけて一喝し、皆が見ている中で私を教室の端っこまで追い詰めて「みんな一生懸命やってるのに!!なんで喋ってなんかいるの!!ずーーーっとくっちゃべってたよね!?」などベラベラベラベラ1分くらい怒鳴り散らかしました。私は声量に圧倒されましたが内心「喋ってねぇよ何見てたんだお前眼科行けや」と思ってました。 私は先生からして問題児ではなかったはずです。主張はあまりせずトラブルメーカーとかうるさいとかそういう類ではなかったのですから。それなのに、掃除中喋っただけ(やってないですけど)でコレです。普段問題児たちが喋っていると「喋らないの!」くらいなのにその時は明らかにブチ切れてたので、先生がその日の朝からイライラしていて八つ当たりをしているのかと当時の私は思いました。反抗したい気持ちを抑えていた私でしたが、奏には「もう、気をつけなさい」で済ませた光景を見た瞬間怒りでどうにかなりそうでした。 ★小学3年生 先述した通り、私の通った小学校では毎年春?に縄跳び集会がありました。ルールは簡単で学年ごとに指定された飛び方を(1年生は前、2年生は後ろ、3年生は駆け足?、4年生があや跳び…みたいな)1分間行い、タイマーがなった時に残っていた人が優勝という感じです。持久走が終わりその集会が近づくと体育の授業はずっと縄跳びでした。しょっちゅう誰かとペアを作り、お互いに1分間で何回跳べたか計測しカードに「〇月〇日 〇跳び 〇回」と言うふうに記入してました。 私はその時弘人とペアを組みました。彼は短気ですぐに物に当たり皆に迷惑をかける点さえなければ普通の子です。私はちょっと彼が苦手でしたが、お互い犬猿の仲という訳ではないので特に問題ないと思ってました。しかし結果として彼を怒り狂わせることになるのです。 弘人は二重跳びを測定する時前跳びをしていました。私は途中何回か「今、二重跳びだよ」と言いましたが「うん、知ってるよ」だの「だから跳んでるじゃん」と言うだけで一向に直しません。紐はヒュヒュッと鳴ってないし、ジャンプ力が前跳びと変わってないし…それなのに、タイマーがなると「ふー、多分〇回くらいできたな〜」と呟き私に「僕何回できた?結構できたでしょ」と聞くのです。勿論「前跳びしちゃってたからゼロだよ…」と言いました。すると「は!?俺きちんと跳んでたし!!」とブチ切れました。私は「あーあ、やっちった」と思いつつ冷静に説得することに専念しました。しかし彼は激しい怒りを露わにし「は!?ふざけんなよせ↑んせー↓に↓言う↑か↓ら↑!!」と言い地団駄を踏みギャーギャー騒ぐのです。 すると、2人の男子(運動得意)が「俺見てたけど二重跳びできてなかったよ」とか「俺も見たけど全然跳んでなかった」と私に味方してくれました。そしたら尚更彼がキレたので、私は「ちょっとココでやって見せて」と頼み、改めて確認することにしました。キレながらも弘人が1回跳び、私が2人に「これ前跳びじゃない?」と聞けば「うん」と返ってきます。そして彼らは「あのね、二重跳びってのはこうやるんだよ」と自ら二重跳びをしてみせたのです。私は二重跳びができない身(これに関しては怖さとかないです。本当に全然できませんでした。)なのでとても有り難かったです。 それでもなお弘人は納得しませんでした。遂に怒りゲージが限界を超えた彼は「うあ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!とんだって!いってんのにいいい!!おれちゃんととんでたあ゙あ゙あ゙あ゙」と泣き叫びながら闘牛の如く暴れ出しました。私たちのペアは副担任(担任は産休で、代理の先生はたまたま午前中出張でした。)から遠い所だったので、副担任は彼の跳びを見てません。周りの子が何事かと聞けば、弘人の泣き喚く言い訳と男子二人の主張が相まって話になりません。 教室に戻ると弘人は副担任の元へ行き開口一番、「先生え゙え゙え゙え゙え゙え゙え゙え゙え゙!!コイツらが!俺縄跳びちゃんと跳んでたのに!マジで〇ねよおおおお!!」と言いました。私たち3人は「は!?イヤイヤイヤイヤ何言ってんの!!」とすぐ否定しました。ただ、私は途中でこの副担任が目視していない限り揉めてもどうしようもないのではと思いました。2人の男子は「俺たちがきちんと見てたの」と懸命に主張してくれましたが結局私たちが怒られる羽目となりました。 副担任はこう言います。「できてないように見えても、本人ができたというならそれで良いじゃないの!」と。私は「は?」としか思えませんでした。なぜなら我々はきちんと計測しようとしたに過ぎないのですから。「本当に弘ちゃんが跳んでたかは分からないけど!本人が一生懸命やれるだけやってるの!頑張ってるの!同じ立場になった時、それを否定されたら嫌でしょ!?」と言われました。 なんか理不尽に思えてきて、私は皆の前で啜り泣きました。しかも普段温厚な人だと思ってたので、そんなことで怒るのかという呆れもありました。副担任は続けます。「そんなこと言ってるけどねえ!あなた達はハヤブサ跳び(二重あや)何回できるのよ!」 男子たちは「〇回…」と答え、私は察しの通り「うっ、うっ、跳べません…」と言いました。対して副担任は「ほら!!そんな位しかできないのに人の事あーだこーだ言える筋合いないでしょ!?しかもあなた(私のことです)はできもしないんでしょ!?君たちハヤブサ跳びマスターできるようになってからそーいう事言いなさい!!」と言ってきました。 そして我々は皆が見ている前で弘人に「ごめんなさい」を言いました。2人の男子は私と同様途中から何も言えずただ俯いてましたが、先生の説教が終わったら「は?おかしくね」と言ってました。対して弘人は「ほぉおおおらww俺が正しいんだ!!ざまみろおお」といつものように叱られた側を煽っていました。ちなみに彼は、叱られた側になると「マジでふざけん゙なよ!!なんで分かってくれ゙ね゙え゙ん゙だよ゙!お前ら〇ね!!全員〇ねやあ゙あ゙あ゙あ゙」と言い教室内で闘牛と化すのです。この出来事以来彼を完全に嫌いになった私は、彼が暴れる度に「天国と地獄」や「クシコスポスト」を脳内で流して楽しんでいました。 とはいえ、あの時の副担任の主張は、間違いなくおかしいと思うのですが…。だって皆彼のように不正できるじゃないですか。しかもなんです、ハヤブサ跳びのプロなら許すみたいな発言。仮に副担任の言うことが正しいのならば、「皆にカンニングをしたと言われても『してません!』と言えばしなかったことになる」とかそうなるんですよね、訳わかりません。例えば弘人が絵を描いて「ここに〇〇を描いたの」と言ったとします。対し我々が「いいや、どう見ても違う」と言うならば、我々が悪いでしょう。また弘人が「お花がお水をもらって喜んでるよ」と言うのに対して我々が「そんなわけねえだろ」と言う場合も、我々に非があるでしょう。 その日の昼休み、校庭で遊んでいると代理の先生が駆けつけて「あなた叱られたんだってね、大丈夫?」と話しかけてきました。そこで私は泣くのを堪えて「先生…私は間違ってたのでしょうか…?」と聞きました。すると「いいや、間違ってなんかないよ。」とだけ返ってきました。もし彼女が出張じゃなければ。もし副担任が目視していれば。そう思うと一層悲しくなって、遊びに集中できなかったのを今でも覚えています。 それからもうひとつ。担任が産休から帰って来てからのある日のプールの授業。毎回準備運動がてら、先生がプールの真ん中でフラフープを両手に持ってそれを潜らせ、生徒らがそれを行きと帰りにくぐり抜けるということをやっていました。水中に浮くのが怖い私は毎回先生の目を盗んで潜りながら歩きますが、やはり泳ぎより圧倒的に遅く、その日は私がとんでもなく遅れてしまい先生に見つかってしまいました。先生は「きちんと泳げやあ!」とブチギレましたが、どうすれば良いのか分かりません。水泳に関しては、クラスの子で私以外できない子は誰もいないので、これは完全に、水に慣れる練習をしてこなかった私に非があると思い、小さい頃1度でも家族と泳ぐ練習をしたかどうかを思い出すと、父の両手を掴んで一緒に浮遊していたら、勝手に手を離されて怖くてアタフタした記憶だけが蘇ってきました。開き直って両足を床から離したものの、どうすればいいか分からずジタバタするだけとなってしまい1度体勢を整えるべく両足をつこうとしたものの上手くできず、両腕と両脚をただ必死に動かして何度も浮き沈みしました。溺れた…訳では無いのですが足をうまくつけられない私はすごくパニクりました。しかし担任はその浮き沈み浮き沈みしながらあっぷあっぷ言っている様子をただずっと見ているだけでした。 ここまで読んでくださり本当にありがとうございます^_^
自由
自由
自由
自由
#ADHD
自分の意見を論理的にまとめて口頭で説明することが昔から苦手で、新卒入社試験の集団面接があった時、とにかく何か言わなくちゃと頑張って喋ったけどメチャクチャで恥ずかしい思いをした。 そんな記憶がいくつも積み重なってゴチゴチに苦手意識がこびりついている。 今の会社は全体会議で会社理念について見解を求められたり、今日の会議では、なぜ会社に居続けるのか?といった議題で1人ずつ思いを述べるものだった。 皆が立派な思いを述べる中、私は情けなく、浅く、まとまっておらず、逃げ出したかった。 不思議ちゃん、いや、不思議おばさんだと思われているんだろうな、、 地は天然でも不思議系でも無いと思っているんだけど、鏡で見た顔と他人が見た顔が違うみたいに人から見える不思議な自分も自分なんだよな、、 今日の支離滅裂発言のダメージがでかすぎて全く眠れないじゃないかー! 辛い、けど、逃げずによく頑張ったよな。。 恥はかくもんだよな。 逃げずに頑張ればちゃんと理論立てて喋ることができるようになるんだろうか。 なる!!って思わないと変わらないよな。 とは思うんだけど、なかなかねぇ。 でも、新卒の時のメチャクチャ討論会の時は何故か落とされなかったな。 あれから随分経ったけど、相変わらず言葉がゲシュタルト崩壊状態で笑われてなさけなくて泣ける。 久しぶりに書き出したらちょっとスッキリした! 明日も仕事なので寝よう!
自由
自由
ああ、死にたい。 そう思う日が毎日毎日続く。。 でも、その理由は、はっきりしない。 毎日なんか辛くて、毎日なんか嫌で、 毎日なんかイライラする。 その度に、なんで?なんで?と頭の中で考える。 いくら考えても答えは、見つからない。 怖い、怖いよ。毎日助けも求めれなくて、 苦しくて辛くてもう全て消えてしまえって。 考える。 夜は特にそうだ、一日のあったことその前の日にあったことさらに一年前のこと。色々考えていると、気づけば泣いていて、気づけば 日が昇って朝になる。 あぁ、今日も寝れなかった。 あぁ、今日も。。 そういう日がほぼ24時間365日。 確かに朝まで起きて、そこから寝ることの方が多い。でも、私は学生だ。だから、寝れても1時間。 寝不足で学校で寝てしまう。そして怒られる。 みんなには、サボりとか言われて悲しくなる。 確かに私は、はたから見たら努力してないかもしれない。でも、私なりに努力は、していると思っている。それがどんな形であろうと。 親に休暇を求めても、「甘えだ」「気持ちの問題だ」「お父さんたちもそういう時あったけど大丈夫だ」そんなこと言われてもあなたと私は、違う。なんで一緒にするの?なんで決めつけるの? 確かに学校に行かせてもらえない子だっているし、病気とかでいけない子だっている。 そんなのわかってる。でも、そうじゃないんだよ。そうじゃない。なんでわかってくれないの? なんで心配してくれないの?心配よりもなんで先に手が出るの?暴言が出るの?あなたたちが勝手に作った子供でしょ?もっといたわってよ。。 私がなにか悪いことすると、機嫌を損ねた母は、こう言う。 「ほんと死ね。」 「ほんと頭おかしいんじゃないの?」 「ほんと殺したくなる。」 「うるさいなぁ」 などなど。暴言が止まらない。 小言も言う。そんな母が私は、嫌いだ。 私が物心ついた時からそうだ。 お父さんもそう。私の味方をしないで母に着く。 お父さんにも似たようなことを言われ。 叩かれ。殴られ。蹴られ。 お父さんがキレると止められない。 止まらない。 私は、死にかける。 こんな家もう居たくない。 誰か助けて。 誰か。 誰か。。
自由
自由
自由
まじで彼氏か彼女を私にください。 なぜ1ヶ月で振られなければならない? なぜ。告られ付き合い振られ別れ。1ヶ月は早ないか? それはもう、恋愛感情じゃなかったんだろう、な、って、話。多分きっとそうなんだけれど。私は恋愛として?好きでしたけれども。伝わっていたのか? く!くそぉ!ラブかライクかも自分でわからないなら告白してこないで! 私が感じた違和感はそれだろうな。 甘えたりわがまま言ったりしょうもない話をしたり。そういう恋人らしいことができなかったのはそういうことだろうな。 次があるならば本当に愛してくれる人と付き合いたいですね。私も本当に愛せる人がいいですね。 わーこんなに人を好きになったことはない!ってくらい好きなんですけどね!私は!もう!ほんとに!どこの女よりも幸せにする自信ありましたのですが。 恋愛は難しいですわね。 もう回復はしています。復縁の申し込みをされるとかなり悩みます。いいよと言ってしまいそう。だけれど良くないかもしれない。だから、あま関わらないようにしようかな。辛い!が。仕方ない。今はただの先輩後輩であり元カレ元カノなのだから。一度付き合って別れてしまった以上それはもう変わらない。 あーあ。こんなことなら私の片思いで終わればよかったの、か?わからないね!後悔しても仕方ない。前見て。向こうが後悔すればいいね。そうなのか?そうでもないね。まぁ、はい。がんばれ。
自由
自由
自由
いくら努力しても、良い方向に進みそうになっても、いつも邪魔が入り理不尽に踏み潰されてきた。 どれだけ積み上げたってこうやって壊されるんだって学習して希望が持てなくなって不安が増幅した。 何もしてなくても悪いことが起こるんじゃないかって怖くて玄関のドアを開けることさえ困難になった。 毎日息苦しく全身が痛んで、体鍛えても虚弱で、人が何を話しているのか理解できなくなって文章も読めなくなった。 やっとの思いで病院や専門機関に助けを求めても困っているような雰囲気を感じられないという理由で門前払いだった。 頼るという選択肢がなくなった。 死にたいという気持ちが、死ぬしかないに変わった。 死ねなくて辛かった。 どんな時でも自分を変える努力はした。 何かしらのアプローチはしてきた。 無駄だと思えるようなことでも、現状打破できればという思いでとにかく何でも試した。 何も変わらなかった。 道徳的によろしくないことをし始めた。 少し楽になった。 褒められるようになった。 良いとされていることを実行するより、人間としてしてはならないようなことを実行したほうが自分にとっていい変化が起きた。 これからも自分勝手に、多くの人が反対する嫌悪するようなことでも実行し続けようと思う。 自分の経験を信じる。 いまより幸せになるためなら、誰かを踏み潰しても構わない。 傲慢でいい。 最低な人間でいい。 好きな人だけ幸せでいてくれたらいい。 他の人間なんてどうだっていい。 私は二度とあの地獄を味わいたくない。 綺麗事なんて言っていられない。
自由
自由
自由
自由
自由