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自由
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8ヶ月前
私が体験してきたこと 学校編① 【前置き】 こんにちは😊最近今まであった嫌なことを思い出してしまい、カウンセリングを受けようか悩んでいたところ、ゲームの広告でこのアプリを知り今日から利用を始めてみました。 今までどんな事があったかここで全部書くつもりですので(学校のことを)とても長いですがご理解いただけますと幸いです。 暇つぶしにはもってこいなくらい長いです(?) また、時系列順に書けるよう頑張ったつもりではありますがそれでも色々順序がおかしい所や誤字、言葉の使い方のミスなどが目立つかもしれません。大目に見てほしいと思ってはいますがご指摘してくださっても構いません。もし不明な所がある場合、疑問に思ったことがある場合は是非コメントしてください。 次は、【私が体験してきたこと 学校編②】を投稿します。長さの関係で入り切らなかった…… ⚠️注意⚠️思ったことを全部正直に、包み隠さず書いたつもりです。怒りの当てつけがてらその人を煽るような文があります。読む人によっては、それ以外の部分でも口が悪いと感じる所や不快にさせてしまうような部分があると思います。 それでも大丈夫な方はどうぞ。 【登場人物 (多いです🙇名前の人と苗字の人混ぜてます。全員偽名です。嘘の名前を作った理由は書いている私が誰のことを言っているかを把握するためです。)】 ・私⋯名前を〇〇とする 小学生の頃から知り合ったメンバー👇 ・奏⋯私の一番古いお友達 ・翔多⋯イジメのボス。男子の友達がいっぱいいる ・上田,犬山,島崎,京介 ⋯翔多の友達。上田は第2のボス。島崎は第3ボス。犬山は先生にトラブルメーカーだと言われていた。恐らく小4、5辺りで私の胸を2回触った男子である。京介は近所に住む子。 ・降谷⋯萩野と同じスポーツクラブに入っていた子。翔多の友達。喧嘩っパヤイ。 ・茜⋯サバサバ系女子? ※ここで、翔多~茜を「イジメンジャー(イジメ×イツメン×〇〇ジャー)」とする。 ・健太⋯あまり関わらない男子 ・荻野⋯小学生の頃兄と同じスポーツクラブに所属していた。 ・弘人⋯トラブルメーカーと先生に称されていた男子。犬山と仲が悪い。 ・広川⋯私が友達だと思ってた女子 中学生の時に知り合ったメンバー👇 ・富沢⋯友達“だった”子。正直苦手な所があった。 ・舞⋯〃。3年間同じクラスだった。 ・夢⋯ぶりっ子 その他 ・先生(〇年生の頃の先生 等と表記します) 【幼稚園児の頃の私】 私は幼稚園児の頃、よく笑う子だった気がします。実際小さい頃は笑顔で写っている写真が一定数あります。 しかし今では笑うことが減り写真は大嫌いになってしまいました。笑顔をしなさすぎて、テレビやネットの動画を見て少しでも笑うと頬が痛くなってしまいます。また写真は、仲がいい子たちかつ少人数でない場合受け付けていません。 当時の私は今とは逆に、ある程度お喋りで活発的だったと思います。幼稚園に友達が沢山いました。 休みの日には親戚にしょっちゅう遊びに行っていました。この頃は毎日が楽しかったです。私の兄がたまに殴ってくることを除けば。 【小学生の頃の私】 私は卒園後、すごくワクワクしていました。私の友達は奏以外みな違う小学校に行くと知り悲しかったのですが、クラスメイトのほとんどが私と同じ幼稚園出身の子たち(幼稚園で関わったことはほとんどない)であるし奏がいれば大丈夫と思っていました。 しかし実際の生活は私の理想と大きく違いました。登校初日、翔多と上田から睨まれました。理由は“目が合ったから”。私は最初「おー、怖(笑)」と軽く受け流してましたがここからが地獄の始まりでした。 ここからは、1年区切りで「この歳で学校で体験した特に嫌だったこと」を中3まで書いていきます。 ★小学1年生 小学1年生の頃の「特に嫌だったこと」は無いので(ないんかい)、小学校生活6年間よくやられていた事をここに書きますね。 まず、先述したエピソードです。ほぼ毎日、目が合った翔多や上田に睨まれ「何見てんだよキモっ」と言われていました。上田がすぐ反応してました(笑)。皆さんは生活の中で一瞬誰かとパチッと目が合う瞬間を毎日体験していることと思われます。その瞬間なのです。彼らがいつもこんな態度をとってきたのは。要は私が実際に彼らを観察している訳ではないのです。偶然なのです。絶対私以外にも彼らと目を合わせた経験がある人は学校にいっぱいいるのに私にだけこんな態度なので、当時私はヤ〇ザに「何ガン飛ばしてんだよ」って言われた気でいました。私の通う学校は各学年が1クラスに収まる小さな学校で、私のクラス兼学年は23人くらいしかいなかったのです。それで彼らと目を一瞬たりとも合わせないで毎日過ごすなんて無理だしこちら側に非は無いので私は毎日「なんか用かよ」とか「こっち見んな」とか何を言われようとスルーしてました。 ただ、目が合うことが多いと彼らは先生や犬山や京介らに「〇〇ちゃんがよく俺らのこと見てくる、マジでキモイんだけど」と嘘を伝えるのです。それを聞いた彼らは「うわあ⋯最悪じゃあん」と同情し嫌悪感むき出しの眼を私に注ぐのです。幸い先生は「えー?ほっといたらー?」みたいな感じでスルーしてたので大事にはならなかったのですが、その先生はたとえ嘘であれ最初に聞いた情報を何故かすごく信じる人だったので、私の株は彼女の中で相当下だったでしょう。 次に、降谷が約6年間、“今日は私が授業中に何回挙手して何回指されたか”をしょっちゅう数え、10を超えると翔多と共に愚痴るという行為を頑張っててそれに付き合わされました(笑)。私はただ、挙手と言われたタイミングで、分かる問題の時のみ挙手していただけです。彼らは「俺たちに考える時間をくれ」だの、先生のさじ加減だと思うのですが「お前ばっかり指されてる!もう上げるな調子乗りやがって」だの言ってくるのです。翔多に関しては私が小さく「うん」と言っただけで「授業に集中できない!さっきからうるさいんだよお前」と言うくらい荒れた性格の子でしたw 最後に。私は運動音痴で、イジメンジャーらに「こいつがヘマしたから負けた」としょっちゅう言われておりました。というか運動音痴というより怖がって思いっきりチャレンジできないのです。怪我したらどうしよう、そればかり考えてしまうのです。先生が「プールで走ると滑って…」という風に注意喚起をすれば「なんでそんな危険と隣り合わせなことさせるんだよ!やりたいやつだけやらせてくれ!!」とか「最悪死ぬんだ最悪死ぬんだ…全然練習してないのに……下手したら病院送り…」とあれこれ考えてしまうのです。 イジメンジャーは私さえいなければ楽しく試合してます。先述した通り少人数のクラスなので、私は6年間、運動会の練習も体育の時間もイジメンジャーの誰かと必ず一緒のチームでした。基本彼ら7人のうち2、3人と一緒でした。練習試合にて、その2、3人はまず「最悪〜絶対負けるじゃんやる気失くしたわ」と必ず言います。それで仮に勝った場合は私抜きのメンバーで喜び、負けた場合は一緒にならなかった約4名を招集し「〇〇ちゃんがあそこで転んだから負けた」とか「コイツ、足遅いんだもん」と私を愚痴り、それを聞いた約4名は「確かに〜」と同情するのです。要はリーグ戦の場合は1位以外文句を言われるのです(最低1回は負けるから)。総合結果が4位以下だと更に文句を言います。ちなみに私が何もヘマせず負けた時は「〇〇ちゃん全然やる気ないんだもーん」です。結構いると思うのですが、体育の時に熱くなっちゃってゲームでヘマする子に対して「違う!!こう!!」と強く言ってしまう人とかならまだ、まだ分からなくもないです。職場で自分より効率悪い人を見るとイラつくタイプですねきっと。まあ私は、じゃあお前完璧にこなせるのか?とどうしても思ってしまいますが。後で話しますが、実際中学の時に体育で熱くなる子がいました。(中学校で、体育で熱くなって口調が強くなってしまうのはいじめにもなりうるから注意だと言われました) 春?になると、縄跳び集会への練習が始まり、そこで体育の時間にたまに大縄跳びをします。8の字飛びなので、引っかかったら即ストップされ、先生と彼らに何か言われます。私は怖がりな上本当に大縄が下手で、あの太縄で何度も体を打ちました。それが結構痛くて本当に嫌で毎回毎回「次の体育大縄ね」と言われたら泣きそうでした。イジメンジャーは大縄が好きなので、最悪でした。仮に序盤上手くいっても持久力がないので走り疲れてタイミングをミスしてしまうこともあります。疲れているのにキレかけの先生にぶつくさ言われるのは本当に苦痛でした。 8の字ではなく皆で跳ぶ場合も地獄でした。体力はないわ、ジャンプ力はないわ、タイミングは上手く測れないわでもう最悪でした。休み時間に友達同士で縄跳びを繋げて大縄の練習をしてみても上手くいかないし、それどころか他の子が「入れて〜」と混ざってくるものですからやりにくかったです。大縄になると女子たちは開始前から泣きそうな私を憐れむ目で見ますが、だからといって大縄から逃れることはできません。ちなみに回す役になる事も考えましたがすごく人気である上、回したい子の中に私と同じくらいの身長の子がいなかったので諦めていました。 夏。イジメンジャーの大好物、プールがあります。私はカナヅチといいますか、水に浮くのが怖くてしょっちゅう固まっていました。そして彼らに「早く泳げよ」とか色々言われました。 秋は運動会。どの競技も嫌でした。「嫌ならば、努力すればいいだけ」かもしれませんが、勝敗があるこのイベントはどうしようもありません。負けた時イジメンジャーの中で京介と翔太と島崎が主に私を愚痴っていました。練習でも予行でも本番でも色々言われました。私は足が遅いので徒競走でビリばかりとってました。また台風の目のジャンプのタイミングが苦手でした。この2点がチームの敗北に繋がったと彼らは主張するのです。他の競技は勝敗に関係ないんですかね…。あ、そうそう、言い忘れてましたが、他の子はミスしても特に彼らに何か言われることはありませんでしたよ。 そしてレクリエーション、通称お楽しみ会は私からすると「何がお楽しみだ」という感じでした。ほぼ毎回ドッヂボールとケイドロであり、ケイドロはまだしもドッジボールで私はしょっちゅう開始直後に狙われすぐやられてチームに大きな負担をかけてました。ちなみに私の学年は人並みもしくはそれ以上のレベルで運動できる子がほとんどで、イジメンジャーはみな運動が得意な子達でした。 逆に彼らは私より勉強ができなかったのですが、だからといって勉強はチームワーク要素がなく私が煽り返せる場面はないし、実際煽っても楽しくないので体育で煽られても我慢してました。通知表を返す時彼らの何人かと毎回、「ねえねえ〇〇ちゃんってCないでしょ?」→私「あるよ」→「えー!?なになにー!?」→私「体育」→「あー!確かにそうだねー!!^^ねえねえ聞いてー!〇〇ちゃんCあるんだってー!!😙」ってやり取りをしてました。よく毎年このくだりできるなあと思ってました。 それから彼らは約6年間、こんなこともしてきました。何度も言いますが我々は6年もの間クラス替えなしでずっと約22名と過ごしていたので、全員誰同士が仲良しであるかを大体把握しています。私は6年間ずっと奏と広川と友達でした。そしてイジメンジャーは私たちを「仲良し3人組」と呼び、なぜか我々3人が仲良くしているのが気に食わないという態度を小学校生活においてずっと示してきたのです。私だけでなく彼女らにも何かあると嫌だと不安を煽るので、彼らの態度には本当に腹立ちました。 例えば、係決めの時やイベント(社会科見学や遠足)の班決め。皆勿論仲のいい子同士で集まりたがります。我々も彼らも同じでした。しかし彼らは私たちのグループだけにやけにキレながら愚痴を言い続けていたのです。彼らは自分たちのことは棚に上げて「お前らまた一緒なのかよ」、「違う人とも組みなさいよ」、「ずっと仲良ししててキモい」などの発言を浴びせてきました。係決めに関しては、「この係をやりたかったのにアイツらに取られた」とか「3人担当の係をやりたかったのに毎回アイツらが取ってくる」とかそういう理由はなく、どの係を選べど、2対1で分かれたとしても愚痴られました。また、たまにですが休み時間などに我々3人の後ろにイジメンジャーの何人かがわざとついて行き 私「今日はいい天気だね」 イジメンジャーの誰か「今日ハいー天気だねェww(裏声)」 という風に真似してくることもありました。絵を描いてたり粘土であそんでいる時、彼らの何人かに「うわつまんなさそうな遊びしてんな」と言われたこともあります。 彼らはそのような「お前らが仲良しなの嫌です」発言をしょっちゅう私だけに言っていました。本当に“私だけ”とは言えないかもしれませんが、聞いた限りでは、2人は特に何もされなかったそうです。それが私にとって不幸中の幸いでした。 あと、たまにですがこんな事もありました。荻野と私の体型が似ているせいか、私たちを「ジャイ子とジャイアン」と称してお似合いだとかほざくイジメンジャーの組員がいたのです。しかも勝手に「好きでしょ」と決めつける輩までいました。 ★小学2年生 奏と一緒に掃除してただけで「あなたたちくっちゃべってないで掃除しなさい!」と先生に怒られました。実際私達は全く喋ってません。私はホコリを取りつつ少し小声で話しているクラスメイトたちの会話を盗み聞きしていただけなのです。奏も私の近くにしゃがんでゴミを探してただけなのです。 明らかに周りの方が喋ってました。ですが当時の先生は「そこぉ!真面目にやりなさい!」と私たちめがけて一喝し、皆が見ている中で私を教室の端っこまで追い詰めて「みんな一生懸命やってるのに!!なんで喋ってなんかいるの!!ずーーーっとくっちゃべってたよね!?」などベラベラベラベラ1分くらい怒鳴り散らかしました。私は声量に圧倒されましたが内心「喋ってねぇよ何見てたんだお前眼科行けや」と思ってました。 私は先生からして問題児ではなかったはずです。主張はあまりせずトラブルメーカーとかうるさいとかそういう類ではなかったのですから。それなのに、掃除中喋っただけ(やってないですけど)でコレです。普段問題児たちが喋っていると「喋らないの!」くらいなのにその時は明らかにブチ切れてたので、先生がその日の朝からイライラしていて八つ当たりをしているのかと当時の私は思いました。反抗したい気持ちを抑えていた私でしたが、奏には「もう、気をつけなさい」で済ませた光景を見た瞬間怒りでどうにかなりそうでした。 ★小学3年生 先述した通り、私の通った小学校では毎年春?に縄跳び集会がありました。ルールは簡単で学年ごとに指定された飛び方を(1年生は前、2年生は後ろ、3年生は駆け足?、4年生があや跳び…みたいな)1分間行い、タイマーがなった時に残っていた人が優勝という感じです。持久走が終わりその集会が近づくと体育の授業はずっと縄跳びでした。しょっちゅう誰かとペアを作り、お互いに1分間で何回跳べたか計測しカードに「〇月〇日 〇跳び 〇回」と言うふうに記入してました。 私はその時弘人とペアを組みました。彼は短気ですぐに物に当たり皆に迷惑をかける点さえなければ普通の子です。私はちょっと彼が苦手でしたが、お互い犬猿の仲という訳ではないので特に問題ないと思ってました。しかし結果として彼を怒り狂わせることになるのです。 弘人は二重跳びを測定する時前跳びをしていました。私は途中何回か「今、二重跳びだよ」と言いましたが「うん、知ってるよ」だの「だから跳んでるじゃん」と言うだけで一向に直しません。紐はヒュヒュッと鳴ってないし、ジャンプ力が前跳びと変わってないし…それなのに、タイマーがなると「ふー、多分〇回くらいできたな〜」と呟き私に「僕何回できた?結構できたでしょ」と聞くのです。勿論「前跳びしちゃってたからゼロだよ…」と言いました。すると「は!?俺きちんと跳んでたし!!」とブチ切れました。私は「あーあ、やっちった」と思いつつ冷静に説得することに専念しました。しかし彼は激しい怒りを露わにし「は!?ふざけんなよせ↑んせー↓に↓言う↑か↓ら↑!!」と言い地団駄を踏みギャーギャー騒ぐのです。 すると、2人の男子(運動得意)が「俺見てたけど二重跳びできてなかったよ」とか「俺も見たけど全然跳んでなかった」と私に味方してくれました。そしたら尚更彼がキレたので、私は「ちょっとココでやって見せて」と頼み、改めて確認することにしました。キレながらも弘人が1回跳び、私が2人に「これ前跳びじゃない?」と聞けば「うん」と返ってきます。そして彼らは「あのね、二重跳びってのはこうやるんだよ」と自ら二重跳びをしてみせたのです。私は二重跳びができない身(これに関しては怖さとかないです。本当に全然できませんでした。)なのでとても有り難かったです。 それでもなお弘人は納得しませんでした。遂に怒りゲージが限界を超えた彼は「うあ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!とんだって!いってんのにいいい!!おれちゃんととんでたあ゙あ゙あ゙あ゙」と泣き叫びながら闘牛の如く暴れ出しました。私たちのペアは副担任(担任は産休で、代理の先生はたまたま午前中出張でした。)から遠い所だったので、副担任は彼の跳びを見てません。周りの子が何事かと聞けば、弘人の泣き喚く言い訳と男子二人の主張が相まって話になりません。 教室に戻ると弘人は副担任の元へ行き開口一番、「先生え゙え゙え゙え゙え゙え゙え゙え゙え゙!!コイツらが!俺縄跳びちゃんと跳んでたのに!マジで〇ねよおおおお!!」と言いました。私たち3人は「は!?イヤイヤイヤイヤ何言ってんの!!」とすぐ否定しました。ただ、私は途中でこの副担任が目視していない限り揉めてもどうしようもないのではと思いました。2人の男子は「俺たちがきちんと見てたの」と懸命に主張してくれましたが結局私たちが怒られる羽目となりました。 副担任はこう言います。「できてないように見えても、本人ができたというならそれで良いじゃないの!」と。私は「は?」としか思えませんでした。なぜなら我々はきちんと計測しようとしたに過ぎないのですから。「本当に弘ちゃんが跳んでたかは分からないけど!本人が一生懸命やれるだけやってるの!頑張ってるの!同じ立場になった時、それを否定されたら嫌でしょ!?」と言われました。 なんか理不尽に思えてきて、私は皆の前で啜り泣きました。しかも普段温厚な人だと思ってたので、そんなことで怒るのかという呆れもありました。副担任は続けます。「そんなこと言ってるけどねえ!あなた達はハヤブサ跳び(二重あや)何回できるのよ!」 男子たちは「〇回…」と答え、私は察しの通り「うっ、うっ、跳べません…」と言いました。対して副担任は「ほら!!そんな位しかできないのに人の事あーだこーだ言える筋合いないでしょ!?しかもあなた(私のことです)はできもしないんでしょ!?君たちハヤブサ跳びマスターできるようになってからそーいう事言いなさい!!」と言ってきました。 そして我々は皆が見ている前で弘人に「ごめんなさい」を言いました。2人の男子は私と同様途中から何も言えずただ俯いてましたが、先生の説教が終わったら「は?おかしくね」と言ってました。対して弘人は「ほぉおおおらww俺が正しいんだ!!ざまみろおお」といつものように叱られた側を煽っていました。ちなみに彼は、叱られた側になると「マジでふざけん゙なよ!!なんで分かってくれ゙ね゙え゙ん゙だよ゙!お前ら〇ね!!全員〇ねやあ゙あ゙あ゙あ゙」と言い教室内で闘牛と化すのです。この出来事以来彼を完全に嫌いになった私は、彼が暴れる度に「天国と地獄」や「クシコスポスト」を脳内で流して楽しんでいました。 とはいえ、あの時の副担任の主張は、間違いなくおかしいと思うのですが…。だって皆彼のように不正できるじゃないですか。しかもなんです、ハヤブサ跳びのプロなら許すみたいな発言。仮に副担任の言うことが正しいのならば、「皆にカンニングをしたと言われても『してません!』と言えばしなかったことになる」とかそうなるんですよね、訳わかりません。例えば弘人が絵を描いて「ここに〇〇を描いたの」と言ったとします。対し我々が「いいや、どう見ても違う」と言うならば、我々が悪いでしょう。また弘人が「お花がお水をもらって喜んでるよ」と言うのに対して我々が「そんなわけねえだろ」と言う場合も、我々に非があるでしょう。 その日の昼休み、校庭で遊んでいると代理の先生が駆けつけて「あなた叱られたんだってね、大丈夫?」と話しかけてきました。そこで私は泣くのを堪えて「先生…私は間違ってたのでしょうか…?」と聞きました。すると「いいや、間違ってなんかないよ。」とだけ返ってきました。もし彼女が出張じゃなければ。もし副担任が目視していれば。そう思うと一層悲しくなって、遊びに集中できなかったのを今でも覚えています。 それからもうひとつ。担任が産休から帰って来てからのある日のプールの授業。毎回準備運動がてら、先生がプールの真ん中でフラフープを両手に持ってそれを潜らせ、生徒らがそれを行きと帰りにくぐり抜けるということをやっていました。水中に浮くのが怖い私は毎回先生の目を盗んで潜りながら歩きますが、やはり泳ぎより圧倒的に遅く、その日は私がとんでもなく遅れてしまい先生に見つかってしまいました。先生は「きちんと泳げやあ!」とブチギレましたが、どうすれば良いのか分かりません。水泳に関しては、クラスの子で私以外できない子は誰もいないので、これは完全に、水に慣れる練習をしてこなかった私に非があると思い、小さい頃1度でも家族と泳ぐ練習をしたかどうかを思い出すと、父の両手を掴んで一緒に浮遊していたら、勝手に手を離されて怖くてアタフタした記憶だけが蘇ってきました。開き直って両足を床から離したものの、どうすればいいか分からずジタバタするだけとなってしまい1度体勢を整えるべく両足をつこうとしたものの上手くできず、両腕と両脚をただ必死に動かして何度も浮き沈みしました。溺れた…訳では無いのですが足をうまくつけられない私はすごくパニクりました。しかし担任はその浮き沈み浮き沈みしながらあっぷあっぷ言っている様子をただずっと見ているだけでした。 ここまで読んでくださり本当にありがとうございます^_^
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