banner-mobile
自由
自由
自由
理不尽なことに耐えてこそ!とか言う根性論が昔から大嫌いでして。なんでそんな理不尽なことするん?理不尽なことして状況好転するん?人を不快にさせて物事が円滑に進むだろうか?と、ずっと思ってた。会社のストレス耐性とかもいらないと思う。ストレスを与える奴が悪いのだからなんで耐性なんぞつけてやらなきゃいかんのか。誰もが気持ちよく働いたほうが良いじゃないか。そもそもストレスを与える会社は存続すべきでない。他人にストレスを与える人間は迷惑なので死ねと思っている。 その根性論の権化とも言うべきどっかの監督が捕まってて最近ふふふ、って感じ。硬式野球ってド偏見だけど根性論信者の巣窟だよねえ。やってる奴も観てる奴も。父親が甲子園を毎年観てた。なぜ昭和の男は野球が好きなんだろうか。たぶん根性論だの厳しい上下関係だのを美しい青春ストーリーへと昇華してくれるからじゃないか。大きな目標のためなら、それを叶えるための愛の鞭なら暴力を振るっても良いのだ。それには黙って耐えて従うのが正義だ。奴らはそれで図に乗って家庭内の親から子への暴力をも正当化するのだ。躾という大義名分のもとに。反吐が出るよ。暴力は暴力。違法な有形力の行使であって刑法の処罰に値する犯罪だよ。それがやっと明るみに出てきた。 一人の人間の痛みを軽視するようならば、いかに壮大な夢であろうと価値は無い。それは戦争の時代を経て手にした学びではなかったのかな? ざまあみろ根性論。ざまあみろ暴力親父。お前らはもう終わりだ。
自由
自由
自由
自由
自由
自由
自由
自由
自由
自由
自由
自由
自由
自由
自由
自由
自由
「なんかあったらいつでも頼って……ていうのも無責任な話だけど」と先輩に言われた。頼ってとか、相談してと言葉にするだけなのが無責任だと気づけている大人はどれくらいいるのだろうか。目上の人への相談や頼ることが私にとってはすごく難しい。特に仕事の話ではなく職場の人間関係の話となると尚更だ。以前、上司から上司が嫌な仕事をずっと私に振られていることがあった。見兼ねた先輩が相談にのってくれて、誰かに話して共感して貰えるだけで精神的負担が少し和らぐのを感じた。その先輩がその言葉をくれた。それから先輩は度々気にかけてくれるようになり、業務を手伝ってくれたり、仕事を振られそうになる時に「〇〇さん、それは〇〇さんにしかできないですよ( ̄▽ ̄)」と空気を壊さないように止めてくれたりした。相談にのってとか、頼ってと言うのはすごく簡単だけど行動できる人はすごく限られていると思う。自分の職場に1人でも居ることに感謝すると共に深く尊敬する。そうゆう大人に、私もなりたい。 もちろん声をかけてくれるだけで救われることもある。でもいざ頼りたいと思った時に僅かな拒絶をされると、結局口だけで助けてくれないじゃんと思ってしまって自分が1人のような気分になる。言葉に責任を持つ。これがすごく大事なことに気付かされた。 先輩に負担をかけてしまっている自覚があったので、色々ありがとうございます、すいませんと言うと「同じ部署の仕事だし責任だから問題ない。大体やりたくないことを自分の子供くらいの部下に押し付けるのがおかしいからね。やりたくなくても仕事なんだから笑 立場上あの上司をどうこうすることは出来ないから事実上の解決には全くなってないけど、頑張ろう」とまた励まされてしまい、もう頭が上がらない。きっとこの先輩に救われた人は何人もいるんだろうなと思う。人として目指す目標ができた。