banner-mobile
家族関係
#ストレス #不安
長文になりますごめんなさい仕事をしていないと言うのもありますが、以前の職場で酷い時は手をあげられる事がありました。アザなどの怪我を負う様な事はありませんでしたが、結局「こんな職場で働きたく無い」と言う気持ちが勝り退職。 しかし私の家族は「いくら何でも根性無さ過ぎる」と言って、私の気持ちも理解しようともしませんでした。 現在は面接対策など、一緒に考えてくれる求人サポートサービス?的な人の力を借りながら、今月末に受ける面接にむけて自分なりにはですが頑張っています。 しかし、家族はそんな私の頑張りを認めてくれません。 寧ろ遅すぎる、いつまで休んでいるんだと呆れるしまつ…。 こんな家、さっさと出て行きたい…。でももし出て行くなら一人暮らしをしている方や、実家を出て自立している方にご相談です。 箇条書きになりますが ・仮に家を出るとしたら、何を持っていけばいいですか? ・家を出て行くとしたらやらないといけない事は何でしょうか? 無知で申し訳ありませんが、家を出る際した方がいい事や、しなくてはいけない事など、アドバイスを頂けたと思います。 まだお仕事は決まっていませんが、すぐには無理でもお金が貯まりしだい、いつでも家を出れる様に今のうちに出来る事をしたいと思い書きました。
家族関係
#不安 #衝動_暴力 #トラウマ
家族関係
#ストレス #うつ #衝動_暴力 #摂食障害 #トラウマ #中毒_執着
家族関係
#ストレス #不安 #トラウマ
家族関係
#ストレス #コンプレックス #頭痛 #不安
家族関係
家族関係
家族関係
#衝動_暴力 #トラウマ
家族関係
家族関係
#ストレス #不眠症 #無気力 #トラウマ #摂食障害
本当の母との出逢い毒親の母親からの肉体的、精神的な虐待により僕のメンタルは壊れてしまった。 暫くは投薬治療をしながら仕事をしていたが、疲労感はハンパでは無かったし、免疫力の低下により、発熱などで寝込む事が増えた。 そんな病床の僕を看病してくれたのは飼っていた猫だった。 寝ている僕の枕元に座り、僕が寝返りするとフトンがちゃんとかかっているか、僕の周りをクンクンしながら確認し、問題が無いと元の位置に戻る。 起きて水分を摂れば、飲み終えて床に置いたペットボトルの匂いを嗅ぎ、飲んだ量を確認。納得すると元の位置に戻る。 食欲が無い為、ゼリー飲料を摂りそのまま寝ようとすると、「にゃー」と鳴きながら薬袋を手でトントンする。 トイレに行くと、ベッドで僕の帰りを待ち、戻るのが遅いと大声で鳴く。 ヨロヨロ戻ると「にゃー」と鳴きながらベッドを手で叩く。 僕が通常の生活に戻れるまで回復すると、死んだように眠る。 付きっきりで看病してくれていたようだ。 まるで、愛する子供を見守るように。 ある晩、その子が寝ている僕のお尻をなめていた。もちろんスウェットの上からだが、母猫が自分の子供にする動作だ。 僕は与えられなかった母からの愛情を、猫からもらっていた。 本当なら、子供はこんなに深くて温かい愛情を無条件で受けるものなのか。 愛情に関して無知だった僕は、初めての経験に戸惑ったが、自然と笑顔が生まれた。 産んだイキモノからの虐待。 本当の母からの惜しみ無い愛情。 ***みたいな人生だったけど、 僕は恵まれている方なのかも知れない。
家族関係
#無気力 #トラウマ
家族関係
家族関係
#不安
家族関係
#強迫観念 #うつ
家族関係
#強迫観念 #ストレス #呼吸困難 #不安
家族関係
#トラウマ #コンプレックス #ストレス #不安定_躁うつ #摂食障害
僕を産んだのは毒親だった「毒親」の言葉を知ったのは最近。 僕の母親は僕を側に置きたがった。 僕が遊びたい盛りでも 「休みの日くらい側で私を手伝いなさい!」 自分は掃除も選択も料理もしない。 手伝いではない、僕を家政婦にしたかった。 そして、 何か気に入らなければ僕を殴る。 小さな身体がぶっ飛ぶくらい殴る。 ぶっ飛んだ僕を蹴り上げ、胸ぐらをつかんで身体を起こし、気が済むまで僕を罵りながら殴った。 僕は抵抗出来ない。 何故なら「母親に抵抗してはならない」という不文律が有ったから。 よその家でも同じだと思っていた。 僕が不出来だから殴られ、罵倒されるのだと思っていた。 母親が体調を崩すと、小学校低学年の僕に看病させた。 「氷枕がぬるい!」 「おかゆが不味い!」 「お前が具合悪い時にあんなにしてやったのに、同じ事が出来ないのか!」 感謝など無かった。 僕の味方は、近所のおばさんや学校の先生だった。 僕は味方されてる自覚は無かったが、なるべく遠ざけてくれていた。 そんな僕も、当たり前に成長する。 暴力は減ったが、罵倒される事が多くなった。 大学に進学し、理論武装を手に入れた僕は、母親の言葉を次々論破し、罵倒される事も減った。 卒業し就いた仕事が楽しくて、母親と顔を合わせる事が減った。 母親は父との離婚を機に遠方に引っ越し、僕にもやっと穏やかな時間が流れ始めた。 しかし、長年の人格否定の影響で僕のメンタルが壊れた。 投薬治療しながら働いたが、結局辞職。 生涯、薬を飲み続ける身体になった。 僕は母親のオモチャでサンドバッグ それ以外には存在理由は無いらしい バカバカしい人生だ。
家族関係
#ストレス
家族関係
#ストレス #不安定_躁うつ #不安
高齢父の傷つく暴言今年初めに母が亡くなり、離れた実家に暮らす高齢父がいます。数日おきに私から電話したりケアしていこうと思っていました。昨日母の月命日もあり実家に行き、まだ先に話せたらと思っていた、万が一が父にあった場合の費用のありかがわからないのでどうしたらいいかと聞いたら、金の話するな!お前は金にうるさく汚い!と怒り傷ついています。  父は83歳で今は元気ですが、随分前から老後について考え具体的にしといてと言っていたのに、いまだ何もせず、なくなった母にさえ銀行暗証番号教えない始末。資産はありませんが金は無いわけではなく。  元来、支配欲があり亡くなった母は奴隷のようでした。そんなのをみていた妹は父と絶縁状態。私も絶縁したいのですが長女として放っておくわけにもいかず。  なので、母の闘病中から父のフォローし母の闘病にかんしても父は医療費全般はだしましたが、私は毎週病院までの交通費、その他も一切父に請求せず自費でしました。母の葬儀社も私が探してきた始末。  母が病棟でも父に私が困らないように 金銭面、自宅売却などきちんとしてくれと散々お願いしていたのに、、、 母の看病ワンオペで疲労困憊なところに 父の暴言、 少し父に連絡せず距離おきますが うまくやっていく自信もなく 父に万が一があった場合、我が家で費用負担しないとならないのかと憂鬱、悲しみです。
家族関係
#ストレス #不安
今日の失態今朝、あたしが愛犬の散歩に行くことになった。 その時にあたしは上着の中に家鍵を入れたと思い込んで、しかも母親に『鍵持ったからね〜』と言って家を出た。散歩から帰って 上着のポケットを漁るが 当然出てこない。鍵は本当は家の中にある別の上着のポケットに入っていたから。 あたしは物凄くパニックになった。でももう仕事に行かないといけない時間。一度会社に休むと連絡を入れた。でもすぐ祖父が母親に電話をしてくれたお陰で あたしは何とか仕事に行けそうなので、休みをキャンセルしといてもらうように会社に連絡して 無事に仕事に行けて間に合った。それは本当に感謝している。 ただ、寒い中ずっと外に出しっぱなしにしてしまった愛犬への罪悪感は ずっと拭えないまま夜を過ごした。 夕飯時も両親から批判の嵐。 まぁ、流石にあたしも反省してるから 我慢して ずっと謝罪した。そのあと甥っ子の家に豆まきをしに行った。当然お姉ちゃんからも 怒られた。 『いくら仕方ない事とはいえ、可哀想だよ? 寒い中1時間も外に置きっぱなしで。お母さんのLINE見たとき 涙出てきたもん。』て言われた。 まぁ、百歩譲って我慢出来る。問題は明日 叔母に同じことを掘り返され、謎のフォロー(?)され また嫌な思いをして 我慢しなきゃいけない地獄の時間が始まる。いや、誰が聞いたって あたしが悪いよ?でもさ 何も皆で言う必要無くない? そもそもお母さんだって 家鍵忘れて あたしの会社に取りに行った事が何回もあるくせに 良く『あたしが 一番大変だったわ~本当に良く動き回ったわ』とか言えるなと思った。自分の時は『ごめん(_ _;)鍵を持ったつもりが 持ってなくてさ😅』で終わり。は?💢ふざけてんのか?💢 今はあたしが自宅から 職場が近いから 今回のあたしみたいな事にはなってなかったから済んどるだけで あたしがおらんかったら アンタも同じ事になる所だったんだよ💢💢💢 腹立つわ!💢💢💢  
家族関係
父親の話終戦の年の12月に生まれて、高度成長期に思春期を過ごした。 幼くして父(私の祖父)が亡くなって、一番上の兄と母親が稼いで養ったんだと思う。 学生運動の波にのって、友人たちと学校の講堂に立てこもり、酒とたばこを酌み交わしながら、日本の未来について、世界の情勢について、熱い議論を交わしたのだと思う。 彼の時間はそこで止まった。運動と闘争の末、彼は逮捕された。 友人たちはあの時の志をエネルギーにして、起業したり 世界を舞台に活躍したり。でも彼は、そんな勇気はなく、酒とたばことジャズと あの頃の思い出にしがみついてうじうじとその後を過ごした。 恥ずかしすぎて、子供を抱きしめることすらできない男だ。ただ鼻で、恥ずかしそうに苦笑するだけの男だ。 想いのたけをつづろうとしたノートは、肝心なところにさしかかるとペンがのたうち回ったただの落書きで読めやしない。 25年、勤め上げた会社を引退したあとは、ひたすら酒とたばことジャズを浴びながら、学生のころに想いを馳せ、うつ病になって そのまま死んだ。 父は私を嫌いなのだと思った。触れようともしてくれない、目を合わせてくれもしない。ただ恥ずかしかったんだ なんて思えるようになったのはつい最近。 公園で遊んでる父と子を見るたびに、アレをしてほしかったんだよなあ と寂しくなる。 こんどお墓参りにでもいってみようか。 いや もうちょっと 心の整理がついてからかな。