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自由
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#早く復帰したい #適応障害 #休職中
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いつも、いつも、何年も、消えたいって思い続けています。 空気になりたい、水になりたい、無色透明でありたい。 消えても誰の迷惑にもならず、何の責任を負う必要もなく、ただふっと消えてしまいたい。 子供は生まれたいと思っている訳ではないし、生きたいと思って生きているわけではないです。 子供が「欲しい」から、生まれて、生き長らえさせていただいてるんです。 子供が欲しい、って言葉使いますよね。物か何か何ですかね。生み出す側にはそう捉えられているんでしょうね。 ゲームが欲しいと一緒です。 「せっかく買ってあげたんだから、最後まで大事に使いなさい」と一緒です。 欲しがって、頑張って頑張って手に入れたものだから、ぞんざいに扱えないだけです。ぞんざいに扱う人は、買ってもらったものもぞんざいに扱うんでしょうね。同じですね。 僕は生きていたくないです。生まれてよかったとも特に思えません。一瞬の出来事によっては、楽しさや喜びを感じますが、それだけです。結局はその一瞬だけの感情です。 死にたいわけではないです。 というのも、死ぬということは責任を放棄し、他人に押しつける行為だからです。 後処理。金銭的問題。自分に課せられていたもの、例えば仕事や課題等。自分が今までに生きてきた分投資してもらった時間とお金。 そのすべての責任があります。簡単には死ねません。 だからこそ、元からなかったように、消えてしまいたいです。 こんなことならば、無駄に長い時間を生き長らえなければよかった。 死ぬと決断するのは早い方がよかったなと、今では思います。生きれば生きるほど、責任だけが増えていきます。もう背負えないし今更逃げ出すこともできません。 最初にこの感情を抱いたときに、不格好でもいいから、思いつく限りの手段を取って消えていればよかった。 後悔先に立たず。 もう死ねない僕は、消えたい衝動と一緒に、責任もって生き長らえます。 育ててくださった家族がみんな死んでしまったときは、今より責任軽くなってるかなあ。 そうなったら、やっと死ねるかもしれません。 家族を殺してしまえばと何年も何度も考えました。未だに良い案は浮かびませんが、もしかしたらそれもいいかもしれませんね。 いつまでこうやって生き長らえるつもりなんでしょうね。 いつまでこうやって耐えていけるでしょうかね。 消えたいなあ。
自由
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