いつも、いつも、何年も、消えたいって思い続けています。
空気になりたい、水になりたい、無色透明でありたい。
消えても誰の迷惑にもならず、何の責任を負う必要もなく、ただふっと消えてしまいたい。
子供は生まれたいと思っている訳ではないし、生きたいと思って生きているわけではないです。
子供が「欲しい」から、生まれて、生き長らえさせていただいてるんです。
子供が欲しい、って言葉使いますよね。物か何か何ですかね。生み出す側にはそう捉えられているんでしょうね。
ゲームが欲しいと一緒です。
「せっかく買ってあげたんだから、最後まで大事に使いなさい」と一緒です。
欲しがって、頑張って頑張って手に入れたものだから、ぞんざいに扱えないだけです。ぞんざいに扱う人は、買ってもらったものもぞんざいに扱うんでしょうね。同じですね。
僕は生きていたくないです。生まれてよかったとも特に思えません。一瞬の出来事によっては、楽しさや喜びを感じますが、それだけです。結局はその一瞬だけの感情です。
死にたいわけではないです。
というのも、死ぬということは責任を放棄し、他人に押しつける行為だからです。
後処理。金銭的問題。自分に課せられていたもの、例えば仕事や課題等。自分が今までに生きてきた分投資してもらった時間とお金。
そのすべての責任があります。簡単には死ねません。
だからこそ、元からなかったように、消えてしまいたいです。
こんなことならば、無駄に長い時間を生き長らえなければよかった。
死ぬと決断するのは早い方がよかったなと、今では思います。生きれば生きるほど、責任だけが増えていきます。もう背負えないし今更逃げ出すこともできません。
最初にこの感情を抱いたときに、不格好でもいいから、思いつく限りの手段を取って消えていればよかった。
後悔先に立たず。
もう死ねない僕は、消えたい衝動と一緒に、責任もって生き長らえます。
育ててくださった家族がみんな死んでしまったときは、今より責任軽くなってるかなあ。
そうなったら、やっと死ねるかもしれません。
家族を殺してしまえばと何年も何度も考えました。未だに良い案は浮かびませんが、もしかしたらそれもいいかもしれませんね。
いつまでこうやって生き長らえるつもりなんでしょうね。
いつまでこうやって耐えていけるでしょうかね。
消えたいなあ。