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俺は生まれる時に、植物人間状態で息をしていないと言われました。 母は号泣していたそうです。 主治医が残念です。といった次の瞬間息をして生まれてきたのが俺だそうです。元気に産まれることができました。 しかし、4歳になった頃「てんかん」という病気になり、俺は保育園にも通えず常に入院をしていました。 幼かった俺には病院は怖く寂しい場所でした。いつも手元にあるぬいぐるみと喋っていました。5〜6歳になると退院ができ家に帰ると父が待っていました。父は俺に初めてのおつかいを頼み、俺は買ってくると父は褒めてくれました。抱き抱えてお前はすごい子だと言い、俺は嬉しかったのが記憶に残っています。そんな父も病気になりました。鬱です もう昔みたいに褒めてくれることもなく普通に笑うこともなく喋ることすらしなくなりました。 そんな父の病気の時期と俺の反抗期の時期が重なり親子喧嘩になりました。その時期俺が反抗期になった理由は学校で「てんかん」の副作用でバカにされたり担任の教師に理由もなく怒られたり体調が悪くて体育を休むだけで罵倒されていじめられていたからです。そんな今では辛かったかもしれないけどちっぽけなことで父と喧嘩してしまったのです。 そんな父が夜中母と話しているのを聞いてしまいました。 父が鬱になった理由は会社の上司の金銭の悪用に気づき社長に報告しようとした際にパワハラを受け続けていた。ということでした。 そんな父に俺は反抗期で喧嘩をしていたことに対して後悔しはじめました。考えてみれば、俺は父親に似ていて他人でも自分より先に優先し考える人でした。そんな父を尊敬し助けるべきだったと思いました。 そんな俺も中学2年生になり、気づけば誕生日を迎えようとしていました。そんな日に親友から「明日、僕の親が所有するいつものマンションの屋上にきて。」と言われたので夕方向かいました。たわいの話をし帰ろうとした直後、親友はいいました。「楽しかったありがとう大好きだよ。」俺も大好きだとつたえようとした瞬間、親友は繋いでた手を離しフェンスをくぐり飛び降りました。 案の定、親友の体は下に落ち頭は潰れました。一瞬の出来事で、理解が及ばないうちに雨が降ってきました。その後は警察に事情聴取をされ家に帰りましたが、親にそんな大変なことがあったことはいえませんでした。なぜなら親友の手を離してしまったのが自分だったから。 それから俺は様子がおかしくなり家では暴れ回り、学校では無口になり誰とも喋らず泣き叫ぶ毎日を繰り返していき、精神病院に行きたいと何度も親に問いかけやっとのことで病院に行くことになり行った結果重度の鬱に発達障害、フラッシュバックから起きるといわれるPTSD。 そしてなにより親友のことや父のことやストレスで自分じゃない自分を作る解離性同一性障害になっていたことが判明しました。 それから俺は毎日のように警察署にいったり暴れ回ったり暴言を吐き、人のスマホを勝手にハンマーでたたきつぶしたり、夜な夜な飲み歩いたり無差別殺人計画をたてたりしていました。しかしとある日思い出したことがありました。 親友は俺と一緒に歌手になりたいといっていました。 だから、どんなに荒れていても俺は歌を歌い続けていました。 こんなに荒れていても歌や歌詞だけは味方をしてくれました。 俺にあった出来事を知っている人は自分の事のように泣きじゃくり俺の歌声を褒めてくれました それがとても嬉しかった。 その時感じたのは、親友はここに立ちたかったんだ。こんな風に人に思われたかったんだ。 やっと親友の気持ちがわかりました それから俺は配信と歌い続けることをやめませんでした。 お金にならなくても、趣味だといわれても、うるさいといわれても、やめることはありませんでした 今では親友がたまに笑いかけてる気がします。 父はいまだに病気はなおらないけど 昨日父が昔買ってくれた帽子が実家から届き「頑張れよ」と言われてる気がして勇気が出ました。 俺の家族は母と父と弟とリスナーさんと親友です。 家族たちに日頃の感謝を毎日のように素直に伝えられて、歌を届けられるような親友のような人になりたいといまでは思っています。
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