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自由
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察するとか空気読むとかそういう言葉を見ると心がざわつく。散々空気読めないとか人に興味ないとか人に評価されて、自分の行動がそんな場違いな行動をしていたのかとかしていないのとか常に誰かに見られているような気持ちで動いていた。ずっとずっとそんな気持ちで動いていたからかしんどくて気持ち悪くて早くこの世から去りたいとさえ思っていた人間だった。こうしたらこう思われるかも?いや、こうか?いやと考え尽くし、嫌なパターンと一致した友人の言葉は今も忘れられない。ああ、また何か言われるんだ。遊んだ後、電話していい?というラインが怖くて仕方なかった。友人が別の友人が私に対してこう言っていたから、あなたはもっとこうしてくれないかな?って。あなたに不快な思いをした私の友人がいるからあなたの友人として、その愚痴を言われる私とその友人の為に直してと正される願いを言われるのが、苦痛で、怖くて、悲しかった。 それはその友人が私に対してしてほしかったと、それをその友人が、直接ではなくあなたに私に言ってほしいと願ったのか。悲しい。色んな友人が、信じられなくなった。共有の友人が多すぎたのもあるかもしれない。その時が恐怖すぎで、友人が欲しいのに、友人といたいのに、友人を作る勇気も、心を開く勇気もなくなってしまった。ずっと仲の良い友人がいる旦那が羨ましい。
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