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自分を愛するということは、相手を愛するということ。 例えば世間で言われている優しい人が、自分に自信を無くし、悲観に暮れていることがあります。 しかしハッキリ言わなければなりません。 勉強ができる人より、出来ない人の方が幸いです。 できない人の気持ちが分かるから。 仕事が出来る人より、出来ない人の方が幸いです。 できない人の気持ちが分かるから。 この世で生きる目的は数々の人や生命の気持ちを理解し優しくなることだからです。 どんな人に気持ちが分からない大社長より、大統領、総理大臣より、科学者、医者、宗教者より、優しいホームレスの方が幸いです。優秀です。 死んであの世に持っていけるのは自分の人格だけです。 自分に優しく100点をつけ、どんな時でも自分自身を裁かず、愛することが出来れば、それを相手にもすることができるようになります。 亡くなって真に幸福を手にするのは自分にも相手にも優しい人だけです。 人の幸せを心から祈らず、100万人助けても1人も助けたことにはなりません。 逆に死ぬ寸前で、呼吸しか出来なく他人に迷惑しかかけていないように見えても、その人が自分を愛し他人の幸せを祈っているのなら、100万人助けた人より遥かに優れた世界に帰ります。 摂理、法則は誤魔化せません。 助けた人数ではなく助けようとした思いが、全てです。 自分自身を愛する。好きになる。無条件に。休む。
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#美容
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#うつ病
うつ病に24歳の時なりました。 姉が過去にうつ病になった姿を見ていたので、躊躇せず心療内科へ行きました。 自分ができない人間なわけでも、根っからネガティブな人間なわけでもなく、これは脳の病気になってしまったのだと、割り切れる自分がいました。 3年ほど、向精神薬で治療しました。 何度も、人生の時間を止めてしまったと、嘆いたような気持ちになりました。 それでも、キャパオーバーになるまで働かせてきた脳をゆっくり休ませることは、何より大切なことでした。 少しずつ少しずつ、その時の自分にできることを増やしていき、焦らず、これで良い大丈夫だと自分に声を掛けながら。 乗り越えた今だからこそ言えること。 それは、苦しいと思うことを経て人は強くなるしやさしくなるということ。 傷ついて辛い目にあった人は、人の痛みに気づいてあげられます。 そして、うつ病になるということは、それだけ頑張ってきたということなんです。自分のことだけじゃなくて、人のことも考えながら、ずっと一生懸命だったんです。 何も止まっちゃいません、停滞もしていません、ちゃんと前に進んでいます。前進しています。 自分のペースで、自分がまた「よし!」とスタートするときを楽しみに、待ちましょう。
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私の人生 高校1年の冬から、22歳前後まで、強烈な胸の不快感と漠然とした不安にさいなまれる。 毎日を這いつくばるようにギリギリのところで生きていた。 体が動かなくなり、あまりの憂鬱に起き上がれなくなった時もあった。 言っていた船乗りの大学も、先生の暴言や辛に傷つき中退。 自分ってダメでどんだけ根性がないんだと 自分を責めた。 孤独で1人ぽつんと考え事をして泣いていた。 精神科、心療内科に通っても全く治らず、死を覚悟した。 その時、あるサイトでスピリチュアルな内容を広めている人を目にする。 その方は論理的で極めてわかりやすく、論理的証拠を持って、生きる意味や愛について、人のために幸せのために生きることの重要性を教えてくれた。 そこから臨死体験の研究や色んな本を読み、共通点があることがわかり、より正しいことを確信する。 人生にとっていかに思いやりや愛情、優しさが大事であるかを。 それから精神科の偉大な先生に愛について語り合う時間があり、その先生と会うのが毎回楽しみで、診療時間の待合室でいつもみんなの幸せを祈っていた。 ここにいる人はみんな辛い思いをしています。 少しでも楽になりますようにと。 それからずっとボランティアでカウンセリングをしながらえ人によりそうことをつずけた。 しかし、その偉大な先生も癌で仕事を辞め、私は再び症状が悪化した。 胸が苦しく、手がピリピリし、気が狂うような辛さの中頑張っていた、そして耳鼻科に行った時、死ぬことを覚悟してみんなが幸せであるようにと最後の祈りと思って捧げた。 耳鼻科の診察室に入った瞬間、ぎゃあああああああと叫び声を上げ意識を失った。 きずけば、点滴を打っていた。 しばらくして、たまたま良い精神科の先生に出会いその先生と再び愛について語っている。 今までお世話になった人に、病院に感謝の手紙ともっと褒めあって生きるべきという励ましの手紙を送った。 人の苦しみと向き合い、地獄のような苦しみの中、どこに行けば良いかもわからず自己嫌悪に悩んだ日々。 そんな中生きる意味を数年かけて徹底的に調べ納得するように生きるようになったこと。 愛する先生方、家族、自然、全てに本当に言いたい。 ありがとう😊
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スピリチュアル嫌いは無視かブロックしてください。 1番何故批判覚悟でスピリチュアルを語るのか 今まで沢山の誹謗中傷を受けながらも書く理由。 1いくら慰めの言葉をかけても、共感していても、いくら寄り添っても、それは一時的な心の慰めにしかならず、人生を通じた救いにはならないから。 2もしあの世や死後の世界がなかったらこの世は不公平極まりないです。 優しい人が馬鹿をみます。 そうした人生の何故苦しい世の中で生きているのか、人は死ぬのか、死んだらどうなるのか、こういうことを自分の哲学で理解することが大事だから。それにより生きる全体の指針となることが出来る。 3私は宣教者ではなく、あくまで自分の理性で判断し、その結果違うと思えば拒否すればいい、正しいと思うことは受けいれば良いというスタンスです。 その考え方のひとつを提供しているのです。 私は信じれば救われるとか言うことは絶対ありません、ただ優しい心を持った人が自分で自分を救うと言っているだけです。 優しい思いやりのある人が天国へ行き、思いやりのない、人を傷つけることに快楽を感じるような人は地獄に落ちると、当たり前のことを言っているだけです。 ですから優しい人はそれが最高の宝だと言っているのです
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