結婚・子育て
ASD自分の人生が守られていた頃を経て(社会性の制限)と
成人になり制限も解放(社会性の自由)になれば今だから経験したなかで気づく、人生の変化により、ASDって定型発達の人と異なる事も少なからずあるように思い、私は成人になり且つ家庭を持つようになってから診断がおりました。
だからこそ、あぁあれは故に生きづらさだったんだなと繋がった想いもあります。(幼少期を振り返り)
今はその事から社会的な人間から家庭は育児・家事から、ひとつ課題が見える度に難しく考えてしまい壁に自分から当たりにいくような、要は首を絞めるような生活の仕方になってしまいます。
育児って自己中心・自己優先ではいかない生活、むしろこどもの意見優先が必須。その気持ちに寄り添ってみてるようで子にしてみれば『聞いてもらえない親』と思われると関係もうまくいかない。それを今、対応出来るようにがんばる私は努力してるなぁ。と思うんです。その分涙は付き物です。
物理的には上手くいかないのに理論的にばかり物事を思考で巡らせ埋め尽くされ、それはそれで才能だと褒められる人間でもあります。
ASDの私のライフステージが独身から夫婦になり、夫婦からこどもを授かって家族になって何段階もの変化・進化により環境に対応していこうとしていくことにすごくエネルギーを要するものであり、行動し生活してるのって我ながら本当に当たり前じゃないんだなと思いました。
なんだか、「聴いてもらいたい、話したいこと」を綴ったような内容になってしまいました。悩みというものでなくてすみません。
