banner-mobile
家族関係
#ストレス #不安
家族関係
#ストレス
家族関係
似ている相談ではないけど吐き出させて欲しい Threadsでとある話が流れてきた 18になったら一人部屋を没収し、家賃光熱費を気持ち払ってもらい、携帯代は自分持ちという話 話の主の親はいわゆる毒親で早く実家を出たかったという話 どうも被る、自分の家の境遇と 自分の母親の親も所謂毒親だった 両親は市役所勤め 母は休みの日になるとお金をもたせられ、市営プールや映画館、図書館に置いていかれ閉館まで迎えに来ないような家で育った 弟との境遇も違い、弟が食べたカップラーメンを何時間もたったのびた状態で食べさせられるような家だった 閉鎖的な田舎ということもあったのだろう、早く家から出たく大学は県外に行った 親はきちんとバイトができる人だった バイト漬けでもきちんと大学に行ける人だった 私は小さい頃から「18になったら出ていくんだ」と言われていた 地元に残ってはいけない 自分はいじめられた経験もあったので東京に行く前は地元が大嫌いだった 実家は好きだったけれど 課題が多い事で有名な東京の大学に行った ぬくぬく田舎の実家で育った私 東京での生活は苦しかった 実家を出る時100万入った通帳を渡された お金の管理をしたことない私は1年でほぼ使い切ってしまった 東京に行ったらまずバイトを探せと言われていた 家賃は出してあげる、ただし他のお金は自分で稼ぐように そのほかのお金がしんどかった 自分は高校まで部活漬けでバイトなんてしたことがなかった だからバイトの選び方がわからず、とにかく稼げと言われていたので週3で夜の11時までの飲食店のバイトをした 親に早くバイト探せと言われ続け早く探さなきゃと1年生の5月からバイトをはじめてしまった バイトをしたことがない私にとってはキツかった 駅前なので客層が悪かった 変な客が多くただでさえ忙しいバ先なのに疲弊した 家に帰ると課題なんてやる気力が残っておらず寝落ちしてしまうこともしばしばあった 一人暮らしと学校とバイト 今までぬくぬく実家で暮らしていた私は両立なんてできる訳もなくしんどい時は仮病を使い学校もバイトも行かなくなった バイト先で「休みすぎだよ、みんなに迷惑かけることも分からないの?」と同い年のもはやお局になっていた子に言われた せめてバイトだけは行かなければみんなに迷惑をかけてしまう そう思った私は大学に行かずバイトにだけ行くようになっていた そこから大学に行ったのは片手で数えられる程度だと思う そこのバイト先はやめたが、結局大学には行けなくなっていた 体が動かないのだ 大学のことを考えると過呼吸になる 本当に私のやりたかったことなのか? 私はこれを学びたいから、地元にはない東京にしかないこの学問をやりたいから出てきたんじゃないか 毎日アパートに引きこもってはぐるぐる考えていた 家から出るのは容易でなくなり、自分で作った料理も不味く感じていた あるときからウーバー三昧になっていた そんな生活をしているとお金がなくなっていた ゆうちょからお金が引き出せなくなった そこで初めて親に頼った 毎月10万ずつ振り込んでくれた それでも足りなかった 一人暮らしがつらい私は大学にも行かずテーマパークやインカレサークルに行く毎日を送っていた 悪い事をしたと思っている 最悪な親不孝である でも全く環境も違う地、そうしなければ生きるのも出来なくなりそうだった 駅に行くだけでもぜーはーするくらい体力がなくなっていた私は出かけられただけでも自分を褒めるようになっていた 大学行けなくても出かけられただけ偉いと そうでないと自〇してしまいそうだった それこそ恋人に心療内科に行くことを禁止されていたので診断こそはされていないが、いわゆる抑うつ状態だったのではないかと思う 結局大学は中退することになった でももうその頃には大学が嫌いすぎて中退をすることになって悔しいとかそういう気持ちは無くなっていた ただこれから学割使えなくなっちゃうな〜とか本当にク〇だと思うんだけどそのくらいにしか思えなかった 地元に帰ってきて1人部屋で社会人として生活している 東京が自分に合わなかったのか地元に帰ってきてからはすこぶる体調がいい 実家暮らしのメリットはちゃんと起きられること 角部屋なので太陽の光が入ってくる 家が密集している東京では朝太陽の光で目が覚めるなんてこと無かった それから、会社は1回転職したものの、不用意な休みはとらず、ほぼ休みなく働けている 働く方が向いているのかもしれない 父はアパートから実家に帰ってくる時引越しの手伝いを一切してくれなかった(母も来てくれなかったけど、妹の部活の大会だったのでそちらは仕方ないと思っている) 一人で引越しをすることになりそうだったので恋人を呼んだくらいだ 1泊2日で恋人と一緒に引越しを完了させたがかなりキツく時間がかかってしまった 東京を出たのは20時をすぎていた 父親から怒りの電話がかかってきた そんなことするなら最初から手伝いに来ればよかったのに もともと父親は嫌いだったが、決定的に嫌いになった 理論的だがまったく理論的でない 自分の考えが100%正しいと思っていて違う考えの人は尽く反論する、言葉で叩きのめすことしか考えていない 考えが合わないことが多く議論すると必ず口論になるので話をしたくない あっちから話しかけられるまでは話しかけない 一人っ子でずっと実家暮らしなのに何がわかるというのか この間も子供は大学まで行かせる金がないなら産みたくないと言ったら 大学は自分で金を出して行けばいい 自分が幸せになるには子供を産むのが1番だと エゴじゃん 子供の幸せが確証されないなら産みたくない それに自分は子供を産むことができないのに何を言っているのか(言わなかったけど) 結局口論になった 母親は好きだ でも両親のようにはなりたくない お前の両親いい人なんだけどちょっといろいろ間違えてるよな、考えがあんまり合わないな 恋人もそう言っていた 恋人の家は恋人の家で過保護すぎるし、こうはなりたくないと思ってしまうのだが 実家に帰るのに親が迎えに行ったり、ご飯いらない時は6時間前とかに言っておかないと怒られたり 放任すぎる自分の家、過保護すぎる恋人の家 どちらも反面教師に出来るのはある意味利点なのかもしれないね
家族関係
#不眠症 #ストレス #不安
家族関係
#コンプレックス #ストレス
「自宅」の感覚がわからず、くつろげる環境がないひとり暮らしをして1年が経ったのですが、自分の家が「自宅」という感じがせず、未だに日常生活でくつろぐ時間が存在しません。 20年以上、母方の実家で両親と暮らしてきたのですが、近所に住む親戚の精神が不安定になると同時に相続の問題も拗れ、結局実家を解体することになりました。 自身は幼少期から、親戚が私の両親を攻撃して家から追い出そうとしていることと、両親が実家の環境にやや依存気味なことを理解していました。 数年前に母から、母方の家庭の事情がかなり複雑であることを教えられたのがきっかけで、両親の苦労のみならず、攻撃してくる側の親戚の精神的事情も想像できるようになってしまい、気持ちが板挟みのようになって、苦しくて一人暮らしを決断しました。 また、私自身も両親や実家に依存気味なところがあり、実家には自室がないなど不便な点も多かったので、それも考慮した上で10年ほど前から一人暮らしを計画していたのですが、両親(特に母)の説得にも時間がかかり、就職のタイミングで実家を出ることになりました。 現在の自宅は、閉所が苦手な自分でも暮らしやすい広さで、家賃や立地にも不便はなく、近隣の方にもよくしていただいています。週に数回、「生活音」とは言えないレベルの騒音で眠りづらいのだけが難点ですが、それ以外に不満は全くなく、快適に暮らしています。 しかしながら、周囲の同僚や知人友人が言うような「家でゆっくり過ごすと気が休まる」「仕事を早く終えて家に帰ったほうが良い」などの感覚が全くわかるようになりません。 自宅にいても、未だに旅館やホテルに泊まっているような感覚で、自分で契約して家賃を払っても、馴染みのある家具や日用品を置いても、掃除をして大事に綺麗に保っても、「自分の家」というイメージが湧きません。 一方、私が実家を出た後、実家の解体に立ち会った両親は、金銭的な事情から夫婦別々に暮らしています。週末に母の家に泊まったり父の家を訪ねたりして、3人で過ごす時間もあるので、両親ともに「ここがタビューの実家だと思って良いんだよ」と言ってくれますが、やはり本当の実家と同じような安心感はありません。 さらに、特に父は私の心身の不調を感じ取り、「また3人で一緒に暮らそう」と家を探し始めています。 しかし、両親と同居をすることで、また別の悩みが出ることはわかっています。例えば、発達障害がある自身には、両親の発言の意味が理解できないことが多く、喧嘩になって数時間言い争うこともあります。父は自身に「理屈っぽい話し方をやめてほしい」「自分は普段からそんなに深く考えることがないから、あなたの気持ちは理解できない」と言いますし、母は「私には私のやり方や言い方があるのだから、あなたが発達障害だからといって配慮したり合わせたりすることはできない」と言います。 以上のようなトラブルは、ひとり暮らしによってかなり解消され、両親との関係性が良くなったと実感しているので、今の住環境を変えるつもりはありません。 そこで、自宅でできる対策として、家でしかできない楽しみを見つけることにしました。 テレビに録画を撮り溜めたり、据え置き型のゲームや本を購入したりして、家での時間を快適にできないか模索しました。 しかしながら、元々趣味がない自分にとっては「ノルマ」や「一時的な快楽」にしか感じられず、やはり家にいる時間は退屈なままです。 家でも外でも「趣味」とされる物事をしっかり楽しめている感覚はなく、例えるならば、「依存性のないタバコ」を口寂しさのあまり嗜んでいる感覚に近いです。心から「楽しい」「落ち着く」などと思っているわけではありません。ちなみに、以上のような趣味に対する感覚は幼い時から変わりません。 休日や終業後は刺激を求めて外出癖がつき、家事が進まなかったり、仕事で体が疲れているのにさらにぐったりしたり、「休めている」感じはしません。家が嫌いなわけではないのに、世間で言われるような「早く家に帰りたい」といった感覚はありません。本音を言うと会社に毎日寝泊まりしたいくらいです(夜勤や宿直が好きなのではなく、自宅に帰る意義を感じられないという意味です) バスで遠回りをして帰ったり、ネットカフェで遅くまで時間を潰したり、自分は一体何をやってるんだろうと思いながら生活しています。 サードプレイス(常連のお店やコミュニティイベント)を探して出かけても、他人に気を遣う側面がありますし、やはり「自宅」とは本質的には違うのではないかとも思います。 会社の既婚の同僚が「早く帰りたいのに忙しくて帰れない」と嘆く一方、自分は帰宅を許されていたり、 自分よりも高額で狭い家に暮らす独身の友人が「家賃のせいで生活が苦しいけれど今の家が1番落ち着く」と言っていたり、 駅で体調が悪くてふらついた時に「早く進めよ、自分は早く帰りたいのに」などと文句を言われたり(育児や介護などの理由があって早く帰らなければいけない事情があるのかもしれないけど)、 なんだか自分が、アンバランスかつ贅沢すぎる生き方をしている感覚が抜けません。 まとまりがない文章になってしまいましたが、「家が落ち着く」もしくは「ホッとする居場所がある」という感覚があれば、もう少し自分もストレスを低減して生きることができるのではないかと考えています。 自分が自立するまでに、両親や友人知人が応援して支援してくれたのに、不動産会社さんがせっかく良い環境の家を探してくれたのに(自分が契約した分この家に入居できなかった人がいるのに)、会社が生活のためのお給料や家賃補助をくれるのに、自分の家を大事にできない自分に嫌気がさします。 何か工夫できることがあれば、アドバイスを下さい。
家族関係
家族関係
#ストレス #不安 #無気力
家族関係と 成立しなかった立ち回りと ボロボロの今私は、幼い頃から他者を考えない、 身勝手極まりない父親から、 心ない言葉を浴びせられていました。 当時、私は、 「これが普通の親子関係であって、 普通の家庭で見られることだ」と 思っていました。 しかし、私が年を取り、 人間関係が広がるにつれ、 この関係は周りの家庭にはないことであり、 あってはならないことだとわかり、 徐々に背負うものが多く、重たくなりました… 話が急変したのは、 私が高校1年生で三学期を迎える頃でした。 とうとう私の心身に限界が来たようで、 ボーっと過ごす…何にも出来ない… そんな日がつづき、当然のように、 高校にも通えなくなりました。 好きだった部活も… やっと仲良くなれたクラスメイトとも… ずっと前から親しくしてくれた友達とも… すべてを手放すことになりました。 この時期に通っていた病院(精神科)では、 「うつ症状」と言われるだけ言われ、 診断書も発行されず… 誰からも理解されにくい日々がつづきました。 話は遡りますが、 私がうつ症状を発症する前に 「なんだか、体調がおかしいな〜」と 感じていました。 原因は、はっきりと「父親との関係」と、 わかっていたので、 これからの自分自身の立ち回りを、 考えていました。 それは、 「もし、この先、 診断書などの自分が父親から受けた被害を 確実に保証してくれる証拠が見つかったら、貯金は300万はあるし、 即、訴えて、裁判でも起こして、 児童保護施設に保護してもらおう。」と、 いうものです。 この考えがあったので、 診断書が発行されなかったときは、 かなり辛かったです。 私は、当時、 社会のルールも… 法律も… 何にも知らず無知で… 力不足だったと今では思います。 (今でもバカだけど) 助けを求めることができず、 祖父母の家に避難し、高校も辞め、今は、 変な通信制高校のサポート校に通っています。 うつ症状の後遺症か分かりませんが、 格段に集中力が低下し、 勉強が全く手につかなくなり、 志望していた国立大学を 諦めなくてはならない状態になりました。 高校3年生になった現在は、 ある程度は元気になりました… でも、ずっと疲れていて…ずっと怒っていて… 誰も助けてくれないのは 何でだろうと感じています。 生きたら楽なのか…死んだら楽なのか… 誰か教えてください。