banner-mobile
自由
自由
自由
自由
自由
自由
自由
#面接 #不安 #自分の性格 #ストレス
自由
自由
自由
自由
自由
LGBT
#性自認_性的指向 #不安
将来自分だけいつまでも独りなんじゃないかと不安です見てくださってありがとうございます、大学生の女です。周りの友達に軒並み彼氏(彼女)ができて私だけ一人です。私は交友関係が狭く、今のところ所謂浮いた話一つありません。みんな幸せそうで羨ましい気持ちもあるけど、どうせいつか絶対別れるんだろうなぁと思いながら話を聞いています。 私にも過去に一人だけ友人から派生した彼女がいたことがありますが、少し怖い人でちょっとでも彼女の言うこと(他の人と話すな、LINEのトーク履歴を見せろなど)を聞かなければ死ぬと言われていました。必死に好意を伝えたり行動に移したりしていましたが、別れた後に冷静に考えたら私自身が彼女を本当に好いていたのか、それとも死んで欲しくないから必死だっただけなのかわかりませんでした。 要は 1.女性としか付き合ったことがない →自分が女性としか付き合えないのかどちらとも付き合えるのかすらわからない 2.そもそも私が人を心から愛し寄り添うことができるのか →人の恋愛をやや淡白に見てしまい、そういった気持ちをこんな自分が持てるのか といった悩みです。1から一応LGBTにしてしまいました、すみません。 人間自体は好きですし、役に立ちたい・優しくしたい・尽くしたい・喜んで欲しいと思ったりはします。仁愛や友愛みたいな気持ちはそれなりしっかり持ってると思います。ただ恋愛だけどうにもピンと来ません。 このままだと将来友達の結婚式に参加するだけで自分だけいつまでも独りなんじゃないかと不安です。前々から考えてはいましたが、最近はより一層深刻に悩んでいます。そのせいかただ体調が悪いのかはわかりませんが、近頃寝つきが悪く予定より早く目が覚め、学校に行きたくなかったり時々吐き気がしたりします。胃は常に痛いです、多分これは確実にストレス。 早く何とかしないと自室で泣き濡れたまま外にも出られなくなってしまいそうで怖いです。流石に少し盛っていますが度々泣いているのは本当です。それくらい不安ということです。 いまいち要領が掴めないような内容になってしまい申し訳ありませんが、よければアドバイスや同情、似た境遇の方の寄り添いコメントお待ちしています。よろしくお願いします。 お話を聞いてくれてありがとうございました。 (刺々しいコメントは御遠慮ください、泣いちゃうので)
自由
自由
わたしさがし2日目。ドスドスくるな(笑) 自立している反面協調性のない人は、うんぬん。自己中だが自分を客観視できており強いメンタルのなんたら。 そうだなー、色々が下手くそで、なんとか小学時代それでももがいて時に他人と楽しくも過ごせて、 やってきた中学からの暗黒時代。 人生2回目があったとしても、あれどうすればよかったのか全然わからない。 うまく立ち回れる自信ない。 いじめられてはないけどほぼぼっちだった。 いじめられていたのは友だち…わりとすぐ不登校になってしまった。 大好きな音楽の吹奏楽部に入ったけど、クラスには誰も同じ部の子がいなくて、クラスでも部活でもグループに入れなかった。 クラス分けも3年間不思議なクラス分け。仲のいい人が少しはいるように配慮されていると聞いたことがあるけど、いないからスタート、一年かけてようやく少し仲良くなれたらクラスがえでまたいないからスタート。 ピアノ弾けるからその関係かなと思ったけど、伴奏候補は他にもいて3年間弾いたこと無かった。おずおず立候補しようとしても出来レースのように他の子が推薦されて先生も「あなたに頼みたい」…私の出番なし。 そんなぼっちを折れないで切り抜けるために当時の私は「間違ってはいない鎧」を身に着けて誰かに依存しなくても歩いていける気持ちをもつことで精一杯だった。 小学校の頃は色んな塾や習い事で学校以外のコミュニティがあったけど、中学に行ってから辞めた関係で社会も狭くなってた。 兄がファンクラブあるような、今で言う学校の一軍男子だったから、その妹ということで注目されたけど、年相応に見えない身長や雰囲気でとっつきくそうな暗い私は悪目立ちしてた。 あまりに無表情が長すぎて、笑うと表情筋が痙攣するほど。 横の人間関係の経験値も激少ない多感な時期。経験値不足、不器用なままその後もズルズル引きずって、今でもイビツなオトナになってしまっている。 一人で大丈夫、一人が楽。 それは一人が好きだったわけではなくて、 それでも折れないように考え抜いて我慢してそうなろうとしていた結果。 不器用なりに、でもよく頑張ってたねって過去の自分を褒めてあげたいな。 親兄弟も「あんたは暗くてやだ」って話もきいてくれなかったもんね。 安心基地はなかったね。 で、それでも過去は過去、今は今なんだよね。なんかもうね、ニンゲンのための学校に入りたい気分(笑) …あー吐き出した!(笑)
自由
自由
自由
自由
自由
私の人生最後に食べたいものは多分「焼きプリン」だと思う。 こう言っちゃあれだけど、すごく否定されて生きてきた。なにに対しても。好きのこと一つすらも。それは食べ物も例外じゃなかった。 「食べたいものある?」と聞かれ焼きプリンを提案すると一番安いものですら嫌味や小言をチクチク言われた。だから食べたいものすらも言えなかった。 親が離婚して母の方について行って、お小遣いで買った森永の焼きプリン。(余談ですが、親が離婚するまではお小遣いはもらえず、どうしても欲しいときは父親に土下座して頼んでました。母がお小遣い欲しかったら気軽に言うんだよと言ってくれたので少し楽に頼めるようになりました) 幾年ぶり、少なくとも6~7年はたべれていなかった私の大好物。一口食べて涙が溢れました。自分の尊厳や、こころの大事な部分を取り戻せたような、そんな気がして。 それからは泣きながらプリンを食べた。顔が涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら、途中で鼻が詰まりながら、涙でしょっぱくなっても止まらず食べた。食べ終わっても涙は止まらなかった。 あれから二年以上経つけど、不定期で焼きプリンを食べる。相変わらず美味しい焼きプリン。 けど、あの時食べた塩辛い焼きプリンの味を私は一生忘れないだろう。