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自由
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親と縁を切る際、母ばかりを責める言い方をしてしまったのが心残りかもしれない。 毒親は母ばかりではない。平穏に暮らしているところアポなしで突然訪問してくる父もだ。昔の父権主義への憧れを引きずった男。何も知らない他人は優しくていいお父さんだね、なんて呑気に言っていたけど、その娘という立場からは女性と子供を一人の人間と思っていない、所有物としてみているのが透けて見えていた。 ここ1年自分の心理的回復と成長のために勉強している中で、ガスライティングという言葉を知った。人の感情を矮小化し曲げる心理的虐待の手口らしい。父はガスライティングの達人だったな。私が小さい頃彼らにされて嫌だったことを打ち明けたときに、「被害妄想だ」と言われたのは一生忘れない。 あいつは「子供を産むのが女の幸せ」と心から信じているらしい。小さいころから、「女の子なんだから」「いつかお母さんになるんだから」と事あるごとに言ってくるのが、そういう目で見てくるのが本当に心底気持ち悪かった。子供を産んだことで自由も美しさも失い、子供と夫に尽くすだけ、家の中に閉じ込められ苦しむ母の姿を間近で見ていた私は、こいつは何を言っているんだろう、男の分際で、とずっと思っていた。いささかミサンドリーに走る考えだと思うが、私は男に妊娠や出産に進言する権利は一切ないと考えている。いや、そもそも自分以外の人間の幸せを他人が定義することが前提としておかしいし、パートナー関係であっても子供を産むか産まないか決定権があるのは女性であってパートナーたる男性は同意ないし拒否する権限しかもつべきでないのにいわんや父親が意を述べるべきところではない。パートナーを紹介したとこに早く孫の顔を見せろと言われたときには吐き気がした。 母を故郷から遠く離れたところに子供二人と置き去りにしたくせに。母がいるからなんとか家族としてやっていけていたのに。母の仕事をどこか見下しているところも大嫌いだった。 私の体も私の人生も、余すことなく私のものだ。私はお前の所有物だったことなぞ一度もない、と言ってやればよかった。彼にはついぞ理解できなかったらしい。理解させてやれなかったのが悔やまれる。
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