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一般的な悩み
#不安 #うつ
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人生で二度目の休職という選択肢を選んだ。理由は、あるような、ないような、分からない。ただ漠然とこれではダメなんだと少しの焦りと先生の圧に負けたというのが正しいか。 一度目は去年の10月だったか。それこそ今よりも鬱で苦しんでもう死にたいとさえ真剣に思っていた。それを見かねた上層部の人が提案してくれたのが最初だった。当時の私は休むのが怖かった。一度休んでしまってはもう会社に行けなくなるのではないかと。それは家族も心配していた。だから三週間だけ休職した。そして一週間の時短勤務をした。休職から完全復帰まで約1ヶ月、それだけでも怖かった。何が怖かったか、行けないことへの恐怖もあるがそれよりも強かったのは周りの目だった。男社会の中に一人だけ女が入ってそれは生きていけるはずもなく、復帰しても時短勤務というのもあって周りの目はきついものがあった。復帰して早々に心が折れかけた。でも耐えた。ここで折れてはダメだと自分に言い聞かせて。 補足だが、通常うつ状態の休職は2〜3ヶ月からが基本なんだそう。私の三週間は異常なのだと改めて思った出来事だった。というか、たかが三週間で鬱が治るわけないだろうと今では思う。 でも私的には大丈夫だと思っていた。休んだし私は元気だ、会社にもなんとか行けてるし、そう思ってた。でも違う、ダメだったんだ。回復なんてしていなかったんだ。所詮空元気で過ごしていたに過ぎない。 そして何年経っても変わらない「適応障害」という病名。軽く見られてるようで悔しかった。私には本当の、もっと重い病名があるはず。だから病院を変えたんだ。五年も通った病院を。死にたくて死にたくて仕方がない自分の本当の病名が欲しくて、欲を言えば障害者手帳が欲しくて。私は喋ると話がまとまらなくなるのでchat GPTにも頼って自分の半生を説明が要らないように準備は万全にして行ったつもりだった。それが仇となったか、今の私にはわからない。 私には障害者手帳は要らない、むしろ頑張って治療すれば普通の生活が送れるようになるとも言われた。はたしてそれは私にとっては良いことなのだろうか。否、現状今の私にとっては苦痛でしかない。だって手帳が欲しかったのだから。 正直私は普通の生活なんてできないと思っていた。私には境界性パーソナリティー障害が根本にあり、適応障害と反復性うつ病性障害がある。こんななりだ、できるはずかないと思っていた。でも医者から言われた言葉は真逆だった。その時の私は受け入れるのが難しかった。正直今でも受け入れられてない。なんせ自分の固定観念を真っ向からぶっ壊しにきたのだから。 自分が思っていたことと真逆のことを言われてそれはそれは頭パニックになるわけで。正直嫌だった。私は「障がい者の自分」というものにアイデンティティを感じていたし、それを誇りに思っていた。それを取ってしまっては私ではなくなるのではないかと。 怖かった。休職という選択肢を取るのが。休む、遅れをとる、それを心の奥底の私が許してくれなかった。一種の固定観念だろう。それが私の邪魔をする。 でもまあ、現に決意して休職する羽目になったんだ、少しは満喫しようと思う。こうしてダラダラ文字を書いていようかなとさえ思うから。 それでは最後にある曲の歌詞を引用して終わりとしよう 「認められたいだけのビョーキ未満」「幸せに生きてごめんなさい」
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