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自由
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対人関係
#ストレス #不安 #不安定_躁うつ #妄想
人を信用出来なくて苦しい小さい頃から他人を信用できません。 周りの人ももちろん内に秘めてることがあるとは分かっていますが、みんな普通に自分の話をして自分の内面を見せられてるように見えます。 自分でもどの自分が本当の自分か分からないです。 親が抑圧的だったのもありますが、親にも小さい頃から本音を話せたことはなく、本当にやりたいことも言えずできそうな事ばかり選択してきました。 自分を愛してくれてるのは分かっているから余計に期待通りでいようと嘘を重ね取り繕ってしまいます。 対人関係でも小さい嘘を重ねて見栄を張ってきました。 最近結婚したいと言ってくれる人が出来ました。 客観的に見たら大事にしてくれていると分かっています。 でも私が嘘ばかりつき本音を隠してきたせいで他人のことも信じられないです。 携帯を見てしまいました。 私と付き合いたての時に前の彼女と連絡を取っていたり、別の女性と会おうとしていました。 でも彼は私のことを大事にしてくれていました。 見たのは一度ではなく、前は無かった高校時代のカップルアカウントが入っていたりと気にするほどでもない小さな引っ掛かりが抜けません。 見てしまったのも悪いことと分かっていますし、なんでこんなに大切にしてくれてるのに信用出来ないのかと苦しいです。 他人の全部を知っていないと信用出来ないなんてそんな生き方はやめたいです。 恋人だけではなく関わる人にもまっさらな気持ちで付き合っていくにはどのような思考を持てばいいでしょうか? また、他人はそんなに自分に興味がないと頭では分かっていますが見られてると顔が真っ赤になったり嘘をついてしまったりするのをやめたいです。 なにか良い方法があれば知恵を貸していただけないでしょうか。
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自分の思考が他人とかけ離れすぎていて生活しづらい。 例えば、「喫煙所をなくそう」という取り組みについて。喫煙所をなくした後、代わりにトイレの個室でスマホをいじってサボっている人のことは咎められない。元々喫煙する人たちが強制的な禁煙で業務効率が下がっていることには誰も触れない。かつて喫煙所で言われていた悪口は給湯室や倉庫の奥に場所が移っただけ。こういうことに気づいてしまうのが、とても生きづらい。自分の同世代の多くが、「喫煙所がなくなって清潔になってよかった」という表面のメリットしか見ていないし、「会社内の喫煙所廃止」とは無関係の路上喫煙者に対する愚痴などを言っていて、論点ずらしも甚だしいと思っている。 ちなみに以上は例であって、自分は非喫煙者である。こういう意見を発言すると「あなたも喫煙者ですよね?」などと決めつけてくるのも視野が狭いと思う。 とにかく、他人と自分の見えている世界が違い過ぎて、とてもストレスだ。 二項対立になったときに、どちらかだけの味方になれる人生のほうが、きっと活力があって幸せだったと思うし、仲間もたくさん出来たと思う。他人が気にしていないことに気づかない人生を歩みたいけれど、気づいてしまうことをやめることはできない。気にしないこともできない。 何か議論になって前向きに進もうという方向になると、反対意見ばかりが頭に浮かんでイライラしてしまう。他人に流されることを何とも思わない人生を歩みたかった。 自分の性格は、災害時などにはメリットにもなるのかもしれない。でも、3.11.の大津波から1人で別ルートで逃げて助かった男の子は、大人になった今、会見で同級生遺族に「自分だけ助かるのはずるい」と非難を浴びていた。自分は何かあった時、ずるい生還者になって、精神を病むんだろうな。私は全ての人が対等に好きだし、この社会が好きだから、この世の中を良くする方向に貢献したい。でも、もし自分だけが逃げ道を見つけて命からがら逃げ切ってしまったら、他の人に対する罪悪感を持つだろうし、それに加えて遺族からは「あんたが死ねば良かったんだ」と言われて罪悪感に拍車をかけてしまう。「社会や他人に貢献したいのならば、罪悪感を持つことは偽善だ」という言葉も、遺族の会で耳にした。 だから多分、一生かけても償いきれない。だからといってもしそこで「遺族に『死ね』と言われたから」という理由で自殺しようとしたら、どうせ「死なないでほしい。亡くなった自分の家族が報われないから」とか言い始めるんだと思う。だから八方塞がりになる。 本当に、自分という人生は生きづらい。他の人にも生きづらさは各々あるんだろうけど、自分と同じ類の生きづらさを感じている人には、今まで一度も巡り会ったことがなくて、それが孤独に感じる。
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