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ChatGPTは励ますようなことしか言わないって否定された 使ったことない奴に言われたくないんだけど 否定ばかりされてきたり、人に相談するのが苦手な私にとっては、ありがたい存在なんだけど 自分のしたことを棚に上げて、とやかく言われたくないんだけど もう消えたいよ ラクになりたいよ
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疲れすぎて本を読む気にならない。ショート動画やつまらない投稿から手軽な娯楽を得てしまう。これじゃいけないと分かってるのに。そうこうしているうちにもう眠る時間だ。お休み***みたいな一日。
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髪を染めた 金髪になった
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もっとやりたい放題に生きたらよかったなぁ。 って死ぬわけじゃないけど、1日1日と年老いて今日は今日しかないのに、これが僕の生きたかった人生なのかと思ってしまいます。 じゃなにがしたいのって訊かれると、何もないのが問題なのです。 眠れない。
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甘えなんだろうけど 世の中やこの世界が、自分には生きていくには厳しい
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なんか今さらになって父親にすんごい実家出るの止められてるんだけどもう遅いよ(´・ω・`) 誰だよあんなに出ていけって言ったやつ
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やっと夢がみつかった。水族館の飼育員になりたい。なりたいって言ってなれるもんじゃないのは分かってる。でもベタとかサワガニとか他にも色んな魚をお迎えして「水」が好きなんだって気づいた。一人で散歩する時も小川を見ながら歩いたり、水族館とかアクアリウムショップに行くと心が休まる。それに人間以外の生き物は簡単には裏切らないし。研究するのも俺の集中力とかをみれば向いてるんだろうけど、水槽の掃除をしたり、毎日魚たちの様子を見たり、人に魚たちの魅力を伝える方が楽しいし、自分は輝けると思う。
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改めて、私は孤独なんだと思いました 出勤すればずっと感じる疎外感 変わろうと思っても、いい歳だし難しいのかな そんな風に思いたくないけど… こんな気持ちいらないから、楽になれればいいのに…
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私は人から嫌われやすい事は分かっているけど(今までもそうだったので)、でも本当に、仕事の時だけは好き嫌いをせずに業務連絡や相談、話しやすい環境を作って欲しい…嫌いだからの理由で何も知らされず批判されるのは、辛い…役に立たないのかもしれないのは、じゅうじゅう承知ですが、こんな私でも悲しくなります
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前回の話の続きだけど、卒業式の日か離任式の日には綺麗な腕になってたいな。古傷としては残っちゃうだろうけど。今まで自傷をやめるために一緒に解決方法とかを考えてくれた人達の時間を無駄にしたくない。
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友達とお話しできてよかった😄
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はぁ~、1番年下のやつ見当違いの返答を私にしたのが、腹が立って仕方ない。 私がしている業務の愚痴をわざわざ別の人に言っているし。私は契約社員、あっちは正社員だからと思ってこの業務どうしましたか?って聞いたら、それはさらに上の部署に話してくださいって…いや、先月位にどうするか話して決めたでしょう。 私の事嫌いすぎて雑すぎるだろ!! 自分は悪くないみたいな顔して普通にいるし それをとがめる人もいない…私の時だけ…
一般的な悩み
#不安 #うつ
生きたくない
死ぬ勇気がほしい。楽になりたい。
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体調が伴わず仕事を退職せざるを得なくなって、療養に専念しながら少しずつ転職準備する予定なんだけど、働いてないから当然収入も無い訳で、そのせいで家族に迷惑かけてばっかりなのがツラくて苦しい。 考えたってどうにもならないけど、なんでうつ病になっちゃったんだろう私…
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いつ死んでもいいようにお世話になった人達にお手紙書こうかな。
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検定模試で合格点とれた頑張ってよかった🛰
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人生で二度目の休職という選択肢を選んだ。理由は、あるような、ないような、分からない。ただ漠然とこれではダメなんだと少しの焦りと先生の圧に負けたというのが正しいか。 一度目は去年の10月だったか。それこそ今よりも鬱で苦しんでもう死にたいとさえ真剣に思っていた。それを見かねた上層部の人が提案してくれたのが最初だった。当時の私は休むのが怖かった。一度休んでしまってはもう会社に行けなくなるのではないかと。それは家族も心配していた。だから三週間だけ休職した。そして一週間の時短勤務をした。休職から完全復帰まで約1ヶ月、それだけでも怖かった。何が怖かったか、行けないことへの恐怖もあるがそれよりも強かったのは周りの目だった。男社会の中に一人だけ女が入ってそれは生きていけるはずもなく、復帰しても時短勤務というのもあって周りの目はきついものがあった。復帰して早々に心が折れかけた。でも耐えた。ここで折れてはダメだと自分に言い聞かせて。 補足だが、通常うつ状態の休職は2〜3ヶ月からが基本なんだそう。私の三週間は異常なのだと改めて思った出来事だった。というか、たかが三週間で鬱が治るわけないだろうと今では思う。 でも私的には大丈夫だと思っていた。休んだし私は元気だ、会社にもなんとか行けてるし、そう思ってた。でも違う、ダメだったんだ。回復なんてしていなかったんだ。所詮空元気で過ごしていたに過ぎない。 そして何年経っても変わらない「適応障害」という病名。軽く見られてるようで悔しかった。私には本当の、もっと重い病名があるはず。だから病院を変えたんだ。五年も通った病院を。死にたくて死にたくて仕方がない自分の本当の病名が欲しくて、欲を言えば障害者手帳が欲しくて。私は喋ると話がまとまらなくなるのでchat GPTにも頼って自分の半生を説明が要らないように準備は万全にして行ったつもりだった。それが仇となったか、今の私にはわからない。 私には障害者手帳は要らない、むしろ頑張って治療すれば普通の生活が送れるようになるとも言われた。はたしてそれは私にとっては良いことなのだろうか。否、現状今の私にとっては苦痛でしかない。だって手帳が欲しかったのだから。 正直私は普通の生活なんてできないと思っていた。私には境界性パーソナリティー障害が根本にあり、適応障害と反復性うつ病性障害がある。こんななりだ、できるはずかないと思っていた。でも医者から言われた言葉は真逆だった。その時の私は受け入れるのが難しかった。正直今でも受け入れられてない。なんせ自分の固定観念を真っ向からぶっ壊しにきたのだから。 自分が思っていたことと真逆のことを言われてそれはそれは頭パニックになるわけで。正直嫌だった。私は「障がい者の自分」というものにアイデンティティを感じていたし、それを誇りに思っていた。それを取ってしまっては私ではなくなるのではないかと。 怖かった。休職という選択肢を取るのが。休む、遅れをとる、それを心の奥底の私が許してくれなかった。一種の固定観念だろう。それが私の邪魔をする。 でもまあ、現に決意して休職する羽目になったんだ、少しは満喫しようと思う。こうしてダラダラ文字を書いていようかなとさえ思うから。 それでは最後にある曲の歌詞を引用して終わりとしよう 「認められたいだけのビョーキ未満」「幸せに生きてごめんなさい」
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今年はなんでもやってみよう、子供の自分を癒す私でいよう。
自由
本当に顧問に感謝してる。 一番最初に「リスカを辞めたい」って相談したのが顧問だった。毎回嫌な顔せず、相談にのってくれて消毒もしてくれて「もうやめな」とは言わずに「また笑?…何があったの?気が向いたら教えて。」「それにしてもすげー切ったね笑」って気を遣いつつ笑い飛ばしてくれる。かれこれ1年半くらい続いてる。あと1年ちょっとで卒業だから、卒業式の日か、離任式の日にはこれまでの感謝とかを手紙で伝えたいな。自分の口から言うのは恥ずかしいから。 もちろん顧問だけじゃなくて保健室の先生とか自傷の事ですごくお世話になった人達にも感謝を伝えたいなって思った。
自由
血便 腹痛 張り 吐き気 やばい。食べすぎか分かんないけど
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