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幼少期に貶されるってしんどいよね。 下品な人間に囲まれて育って、外見のことや内面のことで貶されることが辛かった。 頭の上で指をクルクルしてからパーの形に変えるジェスチャーや、知恵遅れや馬鹿という言葉、笑い声がとても苦手で辛かった。 会うたびに外見について茶化されるのが本当に本当に嫌だった。 長時間怒鳴られ続けるのが辛かった。 ダブルバインドが嫌だった。 不快な体験が積み重なって、小学校に上がる頃には、大人になんてなれやしないと悲観していました。 爪を噛んだり、髪の毛を抜いたり、落ち着かずソワソワ動いてしまったり、変な癖がありました。 そしてそれもまた馬鹿にされました。 不安で不快な気持ちをどこへやったらいいのかわかりませんでした。 何をどうしたら私を傷つけないでいてくれるのかわかりませんでした。 そのうちストレスであちこち正常に動かなくなって、眠れなかったり、寝すぎたり、起き上がれなかったり、走れなくなったり、幻覚に苦しんだりしながら、死ぬこともできずただただ酷く苦しんでいました。 貧困で、薬は悪である、病院よりも宗教が救ってくれるという思想をもつ家庭だったので明らかな異常があっても通院はさせてはもらえませんでした。 苦痛を訴えたところで信じてももらえませんでした。 間違いなく生き地獄でした。 あの逃げ場のない地獄にいま戻ったとしたら、私は自分に苦しみを与えたすべての人間を燃やすでしょう。 そうしなければならないほどの耐え難い苦しみでした。 大人になってわかったことは、知恵遅れで馬鹿で醜い外見なのはその人達だったということです。 あの人達の年齢を越したことで「私は間違っていなかった」と思えるようになりました。 私はやっと私を肯定し、あの人達を否定することができます。 3歳の子供にビールを飲ませたり、車を危険すぎる速度で走らせたり、警察の世話になったり、些細なことで数時間怒鳴り続けたり、妻を殴ったり、子供を特殊な思想に染め上げたりする人間は正常ではありません。 どうしてそうなってしまったのかはなんとなく想像できます。 おそらく通常より頭が弱いのです。 知恵が遅れていたのはあの人達だったのです。 私自身が賢くないことを自覚しているので、少しわかるのです。 賢くない人間は深く考えられないのです。 動物的なのです。 欲望に忠実で、理性を働かせることが難しいのです。 オウム返しが得意で、自分の頭で物事を考える力が欠けているのです。 自分の気持ちには敏感なのに他人の気持ちには鈍感なのです。 弱いものいじめをすることでしか心を安定させられない哀れな生き物です。 子供の頃は、一生こうしてなじられていくのろうだと絶望していましたが、もう何人もの悪い生き物がこの世から消えていきました。 訃報は私を最高の気分にさせてくれました。 死は悲しみをもたらすことがほとんどでしょうが、希望と喜びをもたらしてくれる場合もあるのだと知りました。 一人また一人と消えるたびに心は楽になり、最後は私が消えた瞬間にすべての苦しみも同時に消えるでしょう。 今現在は生きているうちに幸せになることはないだろうという確信があり、どうやっても希望を見出だせないのですが、命が尽きて無になることを想像して安堵できる心は持っています。 存在が消えることこそが救いであり、あたたかな希望であると考えます。 それが今考えられる私にとっての幸福の姿形です。 この投稿の書き始めにあるエピソード(ほんの一部で他にもまだまだある)を私は忘れられません。 あまりにも大きな傷を残したからです。 忘れたいけど忘れようとは思いません。 無理に忘れてしまっては、幼い私が泣く気がするから。 傷ついて泣く幼い私を抱きかかえてなだめながら生きて一緒に死にたいのです。
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