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一般的な悩み
「頑張らない」と「怠ける」は何が違う?「頑張らなくてもいいんだよ」のような言葉を見かけたり耳にしたりすることがありますが、それと怠けることはどう違うのでしょう……? たとえば「無理しなくていい」「頑張りすぎないで」等だと頑張っている何かがある前提でほどほどにと言っているように聞こえますが「ここまで十分やってきたよ。もう頑張らなくても大丈夫」等だとあることに対して一旦ぜんぶ休んでいいと言っているようにも思えます。 こういう言葉をかけていただいたとき、何か一仕事終えた直後や無理が祟ってすぐであれば素直に休もうかなと思うこともあります。でも「あなたは無意識に頑張っちゃうことがあるから、頑張らなくてもいいと思っていてね」のようなことを言われると解釈に悩んでしまい、その人の気遣いを無碍にしてしまわないか、あるいは真に受けすぎて怠慢になってしまわないかと考えてよく分からなくなってしまうことが多いです。 何事も解釈は人それぞれですし、実際のところ僕自身の感じ方よりも「頑張りすぎていそう」と思う人も「怠けているように見える」と思う人もいるとは思います。それでも何か判断基準を持つことができたら良いのにと思うので、よければご意見をください。
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朝が1番心の調子が良い。「これから仕事に行く」というだけで気持ちが落ち着く。帰宅時間に近づくにつれて苦しくなる。 元々プライベートの楽しみが少なくて、一般的に「趣味」とされる物事を実践してもポジティブな感情を覚えない特性があったけど、 恋愛感情や性的対象者の存在に苛まれると、余計に日常がつまらなくなるんだよなあ 身体感覚や脳内快楽が強すぎて、それ以外の時間が霞んでしまうから面倒だ 友人との外出や友活イベントへの参加も、今までほど楽しみだと思えない(元々楽しんではいなかったけど、それでも日常の刺激の役割は果たしてくれていた。今は刺激にすらなっていないような感覚) ドラマで耳にした、「友人や職場での人間関係は良好だけど、楽しい時間が終わるとみんな『大切にしたい』と思える人がいる家に帰っていく。自分は帰る家はあっても1人になってしまう。だから家族が欲しかった」というセリフがかなり刺さった。 自分は「大切にしたい人が欲しい=家族を作りたい」とは思わないし、このドラマの主人公ほど友達と楽しく過ごせるわけじゃないけど、仕事中に周囲の人たちが「家族のために仕事を頑張る」みたいな話をしていたり、私が自己実現のために仕事をしてるときに「そんなに頑張らなくて良いよ」と止められたりすると、「でも今の私には仕事しかないんだ!止めないでくれ!」と脳が大騒ぎしてつらい。 よく「サードプレイス」という言葉を聞くけれど、自分にとっては家ですら「セカンドプレイス」でもないからなあ 仕事という「ファーストプレイス」があって、それ以外は苦痛の時間でしかない。趣味や休日の居場所を「3つ目」と捉える感覚ですら共感できない。自分には「2つ目」もない。