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『自分のことが理解されていないと感じる人へ』   両親にここまで育ててもらって感謝をしてないわけじゃないけど、本音で色々話してもあんまり自分のことを理解してくれていなくて本当に悲しいです。 ある人に会う前はそれが仕方のないこととか別におかしい?ことではないと思っていました。でもある人に会って私の考えや価値観を理解してくれる方がたくさんいて本当に嬉しかったです。  両親は私の考えに対してそれはへりくつじゃない?とか返答することがあり、上手く伝わらなくて悲しい思いをしてくることが本当に多かったです。  ある人は、私は物事の本質を捉えられている、何か物事を説明する上で図とかで表現するのが上手いんじゃない?と言ってくださり、今まで私自身がうまく言葉で言い表せなかった私自身のことをうまく捉えて、私に教えてくださって、私の両親以上にそして私以上に私をわかってくださって、本当に感謝しています。 いつもその人に会った後はいろいろ考えることがあり、深い話ができてとても面白かったなと感じます。 私自身、私のことがどんな人か見えていなかったのが見えてきていて、さらにその力を知ったことでさらにその力を伸ばすことができているようで楽しいです。 親に話しても理解しているようには思えないし、何か話しても違う軸で捉えられているようで、私が大事にしている価値観を理解してもらえていないようで、そういう話をした時に毎回泣いてしまっていたのは、自分の言いたいことをうまく伝えられてなくて泣いてたんだなと気づきました。 人生で、大学生で、早いうちにそのことに気がつくことができて本当に良かったなと感じています。 ⭐︎⭐︎一言で言うと、自分の価値観を分かってもらえて嬉しいです。自分で自分がわからなかったのをわかるように導いてくださって本当に感謝していて、私のように自分が知らないうちに自分のことを理解されることを諦めている人がいるとしたら、発信したり、自分の気持ちを言うことを諦めないでほしいってことです! 私自身足りないところももちろんたくさんあるのでこれからもっと頑張って成長していきたいと思いますが、 あなたをわかってくれる人理解してくれる人がきっといます!
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前置きは長いけど、最後だけは見てほしい。 僕は中一の時に大きな集団いじめを受けた。 中学に入学してから夏休みが明けてしばらくするまで大人は誰も気付かなかった。 親に話したくなかった。心配させたくなかった。だから先生にも相談できなかった。 その結果… いつも通り日付が変わる前に眠った。 でも翌日目が覚めたら夕方だった。 その日から夜眠れなくなって夕方まで目覚めることが出来なくなった。 母は激怒し、毎朝僕のことを殴って叩いて蹴って起こそうとした。無理やり布団から引っ張り出して階段から落としてみたり。 だから僕はいつも怪我をしていた。 学校に突然来なくなった僕を心配して必死に理由を聞き出してきた。そして夏休みにようやくいじめが発覚した。 全校集会でいじめがあった事実を公にされた。 いじめの主犯は顔も見た事ないやつだった。 1学年の人数が多いのと、基本的に教室から出ない僕を相手も当然知るはずはなかった。ただ、僕に関する勝手な噂がどんどん肥大化していき、噂を聞きつけた主犯が面白半分でほとんどの陽キャたちを巻き込んでいじめをした。 そいつは先生に呼び出され、面倒臭いからとりあえず謝っとこみたいなごめんなさいを僕に言った。 その後僕は不登校になった。 母は泣きながら「気付いてあげられなくてごめん」とひたすら謝ってきた。 しかし、朝の母の起こし方やいじめのストレス、学校に行けない罪悪感で重度のうつ病になっていた僕は百均で紐を買ってきて、切れない太さに加工し首を吊ったり、高い所から飛び降りたりした。しかし首を吊った時には家族に見つかって死ねず、飛び降りても足の神経が損傷するだけで、人生を終わらせるには至らなかった。 ずっと夢の中にいるような浮遊感 呼吸すら意識していないと続かない 身体が鉛のように重かった。 もう、生きたいどころか死にたいとすら思わなくなってきた。 勉強が大好きで、先生と話すことが好きで。 行きたい高校、行きたい大学、大好きな推し。 全部どうでも良くなってしまった。 教育相談センターからの紹介で、出席日数が足りなくても進学できる定時制の高校があった。 学力テストより面接重視の受験。 試験日は学力テストと面接の2日。 初日で僕は、昇降口前で恐怖に押し潰され、立てなくなってしまった。涙が止まらず、震えが止まらなかった。知らない人が沢山いる空間に放り込まれる恐怖はどんな拷問よりも苦痛だと感じた。 結局先生たちに抱えられ別室受験をした。 面接も、待ち時間が苦痛になるからと早い時間に変えてもらった。 そうして中学を卒業し高校生になった。 最初は友達も出来て勉強も楽しくて、毎日が幸せだった。でも学年が上がる頃に、SNSをやっていなかった僕に、SNSで悪口を書き込まれたという件で友達だと思っていたヤツに嫌われ、担任からも悪者扱いされた。 そいつはクラスの中心人物だったから、もちろん僕は孤立した。それでも孤立した者同士で仲良くやっていた。 だけど高3秋に、その仲良くしていたやつにも同じ理由で悪者扱いされた。それだけでなく、僕が難聴であることを知りながら、無視された無視されたとずっと喚いていた。 単に聞こえなかっただけなのに。 その後何故かお金まで請求された。 貸しているのは僕なのに。 その子はとても可愛かったから、担任の先生はその子を甘やかし、僕を全力で加害者に仕立てあげただけでなく、僕の今までの努力や人格を否定する発言も。さすがに母はこのことに関しては担任を責めた。 結局高校も、卒業間際で不登校になった。 高校中退だけはしたくなかったから通信制高校に転校して、卒業までの数ヶ月で高31年分の勉強をした。 また、死にたいなと思う日々が続いた。 また、死のうとした。 そのタイミングで、小学生の頃から好きだった俳優がバンドを組んだ。 そのライブに足を運んで推しと話している間に、死にたいなんて気持ちは無くなっていた。推しが、正真正銘の生きがいになった。 1年経った今 僕は知らない人が沢山いる場所に頻繁に足を運ぶようになった。 未だに体調は不安定だけど、ひとりで2時間かけて東京に通っている。 週6でバイトをしながら。 ひとりぼっちだと思ってた。 誰も自分を肯定してくれる人なんか居ないと思ってた。 でも、僕が最も尊敬する人は僕にこう言ってくれた。 【ひとりじゃないよ。面白いよね。一人で部屋に閉じこもって曲作ってる人間がひとりじゃないよだなんて。だけど一人でいるが故に「一緒なんだよ」】 そして、周りに馴染めなくて疎外感を感じている僕に 【僕も十代の頃は馴染むのが苦手だったけど、アーティストを目指して表現していくなら周りに合わせる必要はないと思う。我が道を行こう!自分の意思と感性を大切に。】 辛いことが続いて疲れ切っている僕には「偉いよ。生きててくれてありがとう」と言いながら、優しく背中をさすってくれたり、頭を撫でてくれる。 この人はバンドマンで、ライブのMCでよくこう語っている。 【仕事が上手くいかなかったり、周りから否定されて死にたい、苦しい。そう思うことがあるかもしれない。そんな感情を僕たちの元に全部持ってきてください。どんなに否定されようとも、僕たちは最後まであなたを肯定し続けます。】 この言葉を彼は、表向きだけの言葉でなく一人一人と向き合って一緒に、真剣に悩んでくれた。 何か嬉しいことがあって報告すると、子供のように笑って、自分の事のように喜んでくれた。 自ら事務所を立ち上げ、ファンと触れ合えるようにまでする人だ。 本気で向き合ってくれた。 作り笑いで人と接する人間だった。いつも体調を崩してばかりで外に出るのも働くのも怖かった人間だった。 そんな僕は今 推しからの言葉を受けて シンガーソングライターになっています。 僕が貰って救われた推しからの言葉が 今も悩む誰かの支えになればなと思います。
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