家にいる時に「安心する」「落ち着く」感覚がわからない。家は狭いわけじゃないし1人暮らしでのびのびしてるのに、ずっと心が圧迫してるような感覚。早く仕事に行きたい、休みの日は外に出たい、風邪をひいてても夜勤明けで体が疲れてても、家の中でゆっくりするのが苦手で困ってしまう。別に家事が負担なわけじゃない。掃除も洗濯も自炊も、やりたいときにやりたい分だけやってる。でも、家にいるのが苦痛。自分以外の命がいないのが苦しいというか、人間の体温が感じられないのがつらいというか、そういう感覚。だからスキンシップを取るような関係じゃない両親がいる実家でも、そこまで落ち着いたことがない。
自分は親から今も昔も大事にされてるけど、小さい時からスキンシップがあまりなかったかもしれないと気づいた。もちろん、言葉では素敵な声かけをたくさんしてくれて、知識としていろんなことを教えてくれて、毎週末には必ずお出かけをして多様な景色を見せてもらった。出かける時は手を繋いでくれたけど、子どもである私が知らない人に迷惑をかけないためだと言い聞かされていたので、スキンシップというよりは安全対策みたいな感じだった。だから、初めて地元の外の高校に通って、「意味のないハグとか頬擦りみたいなのを、親子間でする家庭がある」と知ってカルチャーショックを受けた。「愛を示すハグは恋人同士でしかしない」と思い込んでいたし、テレビでそういうシーンを見ても「ドラマやバラエティだから大袈裟に表現してるだけで、日常でハグをするなんてありえない」と信じていた。そもそも、自分の家では恋愛がタブー視されていて、私が小学生の時に「恋人って何?」と聞いた時は「『お友達』と同じ意味だよ」と教わって、中学で初恋の感情を覚えるまで本気で「恋人=お友達」だと思っていた。このせいで小学生のときに男の子を傷つけたことがあった。申し訳なかった。
こんな家庭だし、自分の元々の人間関係の狭さも相まって、性行為の存在を知ったのも高校卒業間際だった。だから大学受験のときに、ちょうど性的な空想やら動画やらに目覚めてすごく苦労をした。
昔から自分は、世間の感覚との「ややズレ」を起こしやすい。すべてを家庭環境や生まれつきの問題にはできないが、それも一部はあると思う。
幼少期に過ごした実家では、ご近所さんから両親が虐められていて、でも両親が実家の環境に依存しているのと、他にも様々な事情があって、「引っ越しが決まったよ」と「引っ越しは取りやめになったよ」を繰り返してたのも、今思うと「普通」の家庭環境ではなかったかもしれない。多分当時から子どもながらに、「家」という環境を信用できていなかったんだと思う。
引っ越し騒動を繰り返したから、小中学校では散々嘘つき家庭呼ばわりをされたし(子ども同士の付き合いよりもPTAのコミュニティで浮いていたと思う)
自分が小さい頃から当たり前のように「自分には家庭を作れないし作りたくもない」という意思を貫いていたのも、色々腑に落ちる部分がある。
今の家族に生まれていなかったらここまで両親から大事にされることはなかったと思うが、その一方で、世間では理解されづらい特殊事情がついて回っていて、自分の人格にやや影響している感覚はある。
安心できる場所が欲しくて、パーソナルスペースが一致する異性の命の実在に溺れて、渇望する性欲と戦っているのは、今の自分ではなくて、幼少期の自分なのかもしれない。