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自由
コーヒー豆_レベル._アイコン.みるきゅ
2日前
付けられた傷は、易しく、癒えない。 世の中の陰に隠れている、毒親と毒子。 影を落とすのは、その日々だけではない。 何十年、経ったとしても。 傷は、悲しみになり。 傷は、苦しみになり。 傷は、歪みに変わる。 自分は、目の当たりにしたのだ。 だから、その姿から思うのだ。 それは、癒すべき傷なのだ。 今にも心さえ、壊れそうな人。 助けを求めても、届かない人。 たった一人で、耐え続ける人。 両親にも、きっと事情はあるはず。 ただ一人、抱え込まないでほしい。 それは、親のためだけではない。 それは、子のためでもあるのだ。 その親が、救われること。 その子が、守られること。 これらは、対立するものではない。 どちらも、必要不可欠なものなのだ。 自分は、聞き過ごさない。 子の叫びも、親の叫びも。 それは届かなかったり、それは愚者に届いたり、そのような末を辿るのではなく。 慈悲の知恵を持つ人の耳に届き、醜い世の中に生きても尚、救われてほしい。 この文章に重みを乗せるには、自分自身がそれ相応の努力を、継続しないといけない。 耳当たりの良い文章を書いておきながら、行動が伴わないだなんて、滑稽だからな。 最後に、一つ、伝えたいのだ。 決して、忘れてはならないことがある。 たとえ、どれほど深く傷ついていても。 それは、誰かを傷つけてよい理由には。 絶対に、ならない。 傷は、傷しか、生まないのだ。
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ぬあっち
2日前
毒親、僕はその経験者と関わりを持ったことはあります。 僕はその人にに寄り添おうと努力していましたが最後には歪、 僕も寄り添えなくなりました。 傷は傷しか生まない、まさしくそのとおり。 救いたかったと後悔が残る反面、その環境にいる状況では どうにか動いても自分の可動域では救われないのだと 自分の無力さを痛感しました。 努力家のみるきゅさんは、僕の無力さをどう捉えられるかは わからないですが、傷は傷しか生まない。 まさしくその通りだと思います。
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みるきゅ (投稿者)
1日前
@ぬあっち さん、こんにちは。 貴方こそ努力家だと、気づいて頂きたい。 「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」 ということわざがあります。 どれだけ我々が全力を尽くしたとしても、最後の最後は、本人の問題なのですよね。 自身の無力さを痛感するのは、苦しい思いですよね。 しかし、全く意味がない、訳ではなかった、と思うのです。 たとえ、その時、救えなかったとしても。 もしかしたら、長い時が経ってから、撒いた温かい種が、芽を出し始めるかもしれない。 言葉は、相手に、かけているようでいて。 言葉は、自分にも、かけているかのよう。 その一挙一動が、この自分を、形作ります。 後者は利己的な発想なのかもしれませんが、 「それは絶対に、無駄ではないのだよ」 とお伝えしたいだけなのです。
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ぬあっち
1日前
@みるきゅ  さん。 ありがとうございます。努力家に言われるとどうも説得力がありますね。 少しは相手、自分の実に成っているのかな。 今日丁度その人の事を思い出し、楽しかった事、自分の不足、 相手の悲しみ、様々が蘇ったことで、感傷に浸り少し心の穴を 感じていたところでした。少し埋まった気がします。 みるきゅさんも色々経験されたのでしょうね。 少し労ってあげたくなります。
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みるきゅ (投稿者)
1日前
@ぬあっち からのよしよしを希望 『嫌われる勇気』 を読んだことがあるのですが…。 P.195~ や P.204〜 を元に考えると、 「偉い」 よりかは、 「凄い」 或いは、 「有り難う」 このような言い方が良いかも…。 ヨシヨシ( ,,´・ω・)ノ"(' ω ' 。)
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ぬあっち
1時間前
@みるきゅ  さん、これは結構刺さりますねぇ。 「すごいね」とかって割とみんな聞き慣れている言葉だと 認識しており、使用を控えていたところもあります。 過去を遡っていただくとわかるかもですが、実は 2年前あたりはすごいね、頑張ってるねという言葉しか 語彙としてありませんでした笑 徐々に特別感を少し感じてもらいたい 形の現れですね。 凄いとかのほうがやはり伝わりやすいのか。 有り難いお言葉です。 そんな方にはいっぱいギュー🫂🫂🫂 よしよしもしなければ🫳🫳🫳🫳🫳 努力家のみるきゅさんに幸あれ。