ある日知人がSNSのノート欄にて、「希死念慮チャンネル」と綴っているのを見かけてしまった。本人がツライなら助けてあげるべきなのだろうけど、でも本当に希死念慮に至るのならそんなふうにわざわざノートに載せるのか?
ここに想いをぶつけてる自分も大概なのかもしれませんが、どうも違和感を覚えるわけです。
本当に苦しんでる人がいるかもしれないのに生半可に希死念慮なんて使うのは違う。言葉ほど進捗にならなきゃいけない。ツライならそういう専門のところに行くか信頼できる人に頼ればいいのに。
なんていうことをブツブツ考えてしまいました。どこまでが本心としての希死念慮で、どこまでが共感目的としての希死念慮なのか。
境目はわかるようでわからない。