昔から他人のことを「友人」「知人」「恋人」などとラベリングすることができなくて、全員を「大切な1つの命」としてしか見られないから、「知っている人間の健康が脅かされています」と聞くだけで、自分ごとのように苦しくなってしまう。
特に自分が信頼して一緒に行動してる人たちのことは「命として」大好きだから、それが消えかかる妄想に駆られるのはつらくて仕方ない。
そういえば昔、恋愛感情を向けていた知人が亡くなったときも、周囲の人たちから「男は星の数ほどいるよ」って励まされるのが無性に頭に来た。別に自分は恋愛対象者を「男」として好きなわけじゃなくて、「命」として大好きだったんだが?他の男性と亡くなった知人男性は別の人間だが?ふざけるな
と思ってしまって、仲の良い家族や友人と過ごして励まされるのが嫌になった。
こんな少数派な考えを持っていると、新たな人間関係の依存先が見つからない限り落ち着いて生きることができないんだわ
元から他人を「対等な命」としか見られない人間にとって、特別に信頼できる人間を探すのってすごく時間がかかるんだわ。その間、心で我慢しすぎて体に不調が出るし、本当に苦しいのを経験した。
自分、仮に平均寿命まで生きられるとして、あと何年を、「信頼できる人間探し」に費やさないといけないのだろう
他人ではなくて、自分の存在を生きがいに生きられると人間になりたいのに、どうしても他人の笑顔や皮膚を触った感覚が好きで、それがないと生きていけない。
人間再現ロボットとか欲しい。自分の寿命とともに稼働停止して、廃棄に迷惑がかからないように自分の棺桶に入れても有害物質が出ない素材で作られた、肌の触り心地を再現した「命」として愛おしいロボット、早く開発されないかな
自分が開発すれば良いのか、そうか
でも、本物の「命」が尊いのは終わりが見えるからなんだよな
その点の葛藤はかなり強い。
やっぱり自分が変わらないとダメだ、他人ではなく、自分の笑顔が愛おしくて、自分が生きてるだけで幸せだと思える人間になりたい。
でも、多分他人の皮膚を触って「柔らかいな」とか「手が冷たいからあっためてあげたい」と思うような、目の前で自分の信頼できる人柄の命が生きている、その実感がないと、私は幸せを感じられない。
信頼できて愛おしい、他人の命を、自分の手の中で、存在していることを、実感したい。お願いだから出来る限り長くこの世に存在していてくれ、私の大切な命