これまで生きてきて分かったことがある。私にとっての幸せとは、無条件の愛を応酬できることを言うのかもしれない。
死ぬ前の走馬灯で私が思い出すのはなんだろうと考えた。きっととりとめもない日常の一欠片だろう。でも、その一欠片には無条件に人を愛し、愛された時間が宿っていることに気づいた。どんな成果を出したときでも、目標を達成したときでもない。春の日に友達と桜を眺めたこと、通っていた食堂のおばちゃんがいつもありがとう、と言ってくれたこと、両親と手を繋いで公園を歩いたこと、配偶者と顔を合わせて笑い合ったこと、愛猫と頬をくっつけてお昼寝したこと。
見返りを求めることなく優しい言葉をかけ、人に寄り添うこと。そんな時間が多い人生を幸せな人生と言うのではなかろうか。
生まれてきてよかったとは思えない。生まれて来ないことを今からでも選べるとしたら、私の選択は火を見るより明らかだ。それでも、確かに私の人生には幸せがあったたと言える。案外、悪くない人生だ。