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自由
コーヒー豆_レベル._アイコン.りんねこ
2日前
これまで生きてきて分かったことがある。私にとっての幸せとは、無条件の愛を応酬できることを言うのかもしれない。 死ぬ前の走馬灯で私が思い出すのはなんだろうと考えた。きっととりとめもない日常の一欠片だろう。でも、その一欠片には無条件に人を愛し、愛された時間が宿っていることに気づいた。どんな成果を出したときでも、目標を達成したときでもない。春の日に友達と桜を眺めたこと、通っていた食堂のおばちゃんがいつもありがとう、と言ってくれたこと、両親と手を繋いで公園を歩いたこと、配偶者と顔を合わせて笑い合ったこと、愛猫と頬をくっつけてお昼寝したこと。 見返りを求めることなく優しい言葉をかけ、人に寄り添うこと。そんな時間が多い人生を幸せな人生と言うのではなかろうか。 生まれてきてよかったとは思えない。生まれて来ないことを今からでも選べるとしたら、私の選択は火を見るより明らかだ。それでも、確かに私の人生には幸せがあったたと言える。案外、悪くない人生だ。
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きままなまりも
2日前
小説の一節を読んでるようで 心地良かったです🤭 本当そうですよねー。 人それぞれ幸せは違いますけど、 僕もりんねこさんがおっしゃるような なんでもない日常が積み重ねられたら 悪くない人生だったなって思えそうです😌
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りんねこ (投稿者)
1日前
@きままなまりも 共感してもらえて何よりです☺️このアプリでもたくさんの人と言葉を交わしてきましたが、見ず知らずでも優しい言葉を掛け合うことのできる良い場所だと思っています。スマホの画面を開いて、遠いどこかの誰かが自分を気にかけてくれた言葉に涙したことも、死ぬ間際にきっと思い出すと思います。