適応障害になって学校を辞めるまでの経緯をとりあえず誰かに聞いて欲しいので書きます。
私はメイクアップアーティストになるために専門学校に通っていました。
良い成績を残せていたし、楽しく学校に行っていたのですが、徐々に現場での厳しさを知り不安が大きくなりました。
また、クラスの子と2人ペアで行う企業とコラボした大きな撮影を控えていたのですが、相方が学校に来なくなってしまい、1人でやることになりました。企業側に納得して貰えるようなメイクや、モデル探しなど、他は2人で協力していることを同じ時間で1人でこなさなければならないのがキツくて。先生にも1人ではしんどいことを相談しましたが、実際社会に出た時にそれは通用しないと私がどこか別のグループに参加すればグループ数が減り、作品も減るため企業との約束を破ることになると言われ、確かにそれもそうだと思いなんとか耐えていました。
しかし立て続けに上手くいかず怒られたり、自分の技術不足を感じたりと上手くいかず不安と、焦りが募っていきました。
そんな時、人身事故を目撃してしまいました。
自分と同い年の女の子の自殺でした。
おそらくそれがトリガーだったんだと思います。この子も自分と同じように悩みこんな選択をしてしまったのだろうか。もしこの不安と焦り、プレッシャーに耐えられなかったら自分もこういう選択をしてしまうのではと思ったらと。
そうしてある日、母と昼食を食べている時に突然涙が溢れだし、いろんなものが爆発してしまいました。今学校がしんどくて辛いことを母に伝えました。
母には高い金額を払って学校に行かせてもらってます。辞めたいなんてどうしても言えませんでした。
そこからは精神科に通いながら学校に行きました。不安な気持ちは自主練やアニメなどで気を紛らわすようにしました。しかし適応障害になるとアニメもドラマもちゃんと聞いているのに全く内容が入って来ないんですよね。何度も見直してやっと理解して、いつもの3倍くらいの時間をかけて見てました。そうやって紛らわしていましたが、大きくプレッシャーを感じていた撮影のための授業へは行けませんでした。向かおうとしたけど途中で涙が溢れてきて引き返してきてしまったのです。
そして次の日、これ以上休むのなら撮影に参加させないと怒られてしまいました。この時私の中で完全に心が折れたのだと思います。
自分が1人はしんどいと助けを求めた時、作品が減るからと助けてくれなかったのに、そういう理由では作品数を減らせるのかと。
人目も気にせず泣きながら帰りました。
そんな自分を見て母からもうやめてもいいよと言われ専門を辞めました。高い金額がすべて無駄になってしまい両親にはすごく申し訳ないです。
今では100万貯めるを目標にバイトを頑張っています。
専門をやめて根本的なものから解放されたけどまだ悩みはあります。
初対面の人との会話ではやはり、大学に行っているのか、就職してるのか、という会話がありますよね。ここでフリーターであることを伝えるのに凄く抵抗を感じます。小中高で不登校になったことなんてないし、正直そういう人をよく思っていなかった自分もいるからです。
学校に行っていないことを伝えるたびに ああ、この人は社会に馴染めない人なんだなと思われそうで。逆の立場だったらそう思ってるかなって。
これからやりたい事を見つけて胸を張れる日が来る事を祈って一生懸命生きています。