しんどい。今日突然父が他県から訪ねてきた。最初は努めて穏やかに話し合いをしていたが、やはり無理で最後には罵詈雑言を浴びせられた。去年、私が一番弱りきっていたときに、泣いている私を見下してあの人は「みっともない」と吐き捨てるように言った。「親を悲しませるようなことをするな」とあいつは怒鳴った。あの人たちは散々、この20有余年私を苦しませてきたくせに、それは被害妄想だと。殴られるのも蹴られるのも怒鳴られるのも、俺たちには普通の時代だったと。お前は根本的に歪んでいる、と怒鳴られた。子供が間違ったことをすれば殴ってでも正すのが親だと。でも、親が常に正しいという根拠はどこにあるの?私は私の考えに則ってずっと行動する子供だった。話し合いによって正すこともなく、暴力によってただ一方的に頭を押さえつけるのが彼らにとって親の為すべき教育だそうだ。私は彼らに私の話を聞いて欲しかった。でも彼ら曰く、親に養われている子供は問答無用で親の言う事を聞くべきなのだそうだ。子供も当然に思想信条の自由の権利主体であるのに。ねえ、どちらが正しいのでしょうか?
私は自分が間違っているとは思わない。いや、間違っている可能性は否定しない。それでも私は自らの意思に従うことを選択する。その責任も負う。それが幼いころから貫いてきた私の生き方だから。間違っていると指摘する人がいれば対話によって正してほしいと願う。そんな指摘なら喜んで聞くつもりだ。ただ、一方的な暴力によって曲げられるのは断固拒否する。暴力には従わない。
あとは絶縁状を書くだけだ。父のことは尊敬する部分もあったが、あの人もまた自らの行いを客観視して反省できない愚か者だったということが明らかになった。相手をするのももう無駄だ。どこまでも愚かで身勝手で愛おしい人たちだった。私の親は死んだ。そう思って生きていこう。