本音は言えない
結局、優しいカウンセラーにも、機転の利く福祉士にも、しにたいまでは言えないでいる…。
親からの茶化しさえ耐えれなくなって弱っていて、暗闇の孤食でなければ安心して物が食べれないし、認知されたくないこと。
今でも学生の頃のトラウマで人の視線や笑い声、大声の歓談に良いイメージがあまりなく、咄嗟に外見いじりの悪口だと思ってしまうこと(しかも対象が知人じゃなくて、目の前の初対面の他人)
基本落ち着いてる店員さんでさえ、変なタイミングで笑われると不安になる…。何か粗相をしてしまったのかな?と。
外に出る日は確実に苦しい。常に不安だ。
なるべく釈然と浮かないようにしてるつもりでも、基本的には嫌な予感しかせず。
人と隣接する=嫌な体験の前触れで、なるべくなら本当にコロナ禍初期のようなソーシャルディスタンスで一生過ごしたいぐらい。
それぐらい、全く知らない他人も、通勤が常連でも中身が分かってない人も、関わりたくない…。
自分でも、そこまで警戒しなくても記憶なんて曖昧で忘れられると分かっていても…。
少しの嘲笑いさえ憎悪するようになってしまった…。憎い。
こうやって冷やかされるなら、早く帰りたい…。しかし、帰っても家族が弄ってきて、違う意味で嫌な気分になるかも知れない?
苦しい……1人でいたい。皆、弄るくらいなら私の事なんか一分一秒でも早く忘れて欲しい…。しにたい。もう色々、勝手な事言われるのは嫌だ。なら、しにたい。
私は確かに不器用で、気が利かなくて、周りに迷惑かけてばかりで、言動も変わり者だと思う…悪目立ちしても当然かも知れないけど…、私なりに感情抑えて、処世術も考えてきたのに…まだ我慢が必要なのか?まだ普通の人と違って浮いてしまうのか?
何かの失敗で目立ってるなら忘れて欲しい。嫌だ。
こんなに背伸びして駄目なら、もう駄目だ。しぬしかない。しなないでも、即刻その場から消えるしかない…。
こればかり考えて外で歩いている。
いや、、カウンセリングは受けてるんですよ?
でも、結局、先生達も人間で、顔見知りになった患者に「しにたい、しにたい」はキツイのかな?相手にするのダルいかな?
狂いすぎてると思われて、真面目に話聞いてくれなくなるのかな?と思ってしまうんですよ?
やはり、文字だけで徒然に書くだけなのと、口頭で抑揚変えたり、ジェスチャー入れたり、目線考えたりすると、無意識に無理してしまって私の鬱屈した感情は言い難いです。
この気持ちや状況を言わなくても、他の愚痴は同じような悩みを何度も聞いていただきました。
しかし、根本の悩みはこの生きづらさと、憎悪…。他の悩みを聞いてもらっても気分は晴れませんでした。
病院に行くこと自体が、外に出る事のセットなので院内は平和でも、道中の人波がストレス。
どうしたら、人の笑い声が平気になるだろう?
浮かずに済み、自信がつくのだろう?
人と目を合わせたくないのも、顔を覚えられたくないから。面と向かって話せない相手に顔を覚えられても反論もできないし、ろくな事がないからだ。
もう本当に早く忘れてほしいし、私も忘れたい。
障害者シートの近くなのに、不快な雰囲気のゲラが集まる事が多いのは何故だろう?
憂鬱だ。