マイノリティの中のさらにマイノリティであること
私は、美術大学生。
世間的には少ない部類には入るんだろう。
美術大学生というだけで奇異な目を向けられることもあるが、別にあまり変わらない。
ただやはり当然ながらこちらのコミュニティも存在するもので、皆共通した言語で共通の認識の中で生きている。
そしてこのような閉鎖的コミュニティでは、繋がりはより強固になり同時に排他的にもなる。
私はそのコミュニティに沿っていないようだった。
研究室単位での繋がりが強いが、どうしても理解できないことがいくつかある。
・こんな狭い研究室で評価されていても普通に世間は美術なんかに興味ない人が大半。
相手は大学じゃ無く研究室でもなくて世界なんだから、どうして成功した作家でもない教授の思うがままの評価になるんだろう。
見てくれる人は正直だ。
素材が、「コンセプト」がどうであれ好きなものは好きと言ってくれる。
ある意味での共感性が必要なんだと思う。
現代美術を見たって、「?」ってなるでしょ?
私もなる。
私がかつて好きだった、造形が好き、人を喜ばせられる、かっこいいものが好き!っていう考えは、アート市場や現代の流行りの表現に飲まれている気がする。
とか、そんなこと言っても興味は持たれないだろうけど。
何が言いたいのかっていうと、皆その世界が当たり前って思ってるから、私みたいなのが浮くって話。
だから排他される。
いくら美術の人が個性的って言われるけど、こちらのコミュニティでは皆似ている。
どうしてまたここで私はその人達とこんなに違うんだろう。