両親との関係に疲れました。後の介護を考えると限界です。
母は人との関わりを持とうとしません。人と関わることを好みませんでした。人間なんて要らないという発言をよくしていました。母の実家では邪魔者扱いされてきたようで、僕が幼少期から絶縁状態でした。人間は要らないという考えは、僕を産んだことでより強くなったそうです。
僕は母にとって理想の息子ではなかったそうです。体育会系に馴染まなかったことで産むんじゃなかったと責められました。最も、母自身は体育会系が嫌いなようでした。
母の考えにより、クリスマスや正月を祝うことはありませんでした。巷に溢れるクリスマスツリーやサンタクロースはクリスマスじゃないとして、祝いませんでした。大晦日になると、正月が嫌いと呟きながら機嫌が悪くなり、年が明ける前に寝込んでしまう家庭でした。その為、年末年始は暗い雰囲気でした。
父からは、母をこのような精神状態にしたことに対して責められ続けました。僕が生まれなければこんな家庭じゃなかったのだと自責の念を感じ続けました。青少年期は激しい憂鬱感に襲われました。責任を感じて、親の為に奮闘しなければならないと思い、青春を犠牲にして勉強して、学校を卒業後はプライベートを犠牲にして働き詰めました。
幼少期から、容姿を馬鹿にされてきました。思春期に異性への関心が高まるようになり、様々な工夫をしましたが、母の好みに合わせないと嫌がられ、父から責められました。
長男は両親を支える為に生まれてきた、そう洗脳されるように生きてきました。両親には理想とする結婚相手像があり、その理想の相手でなければ、いずれ嫁姑問題が発生すると感じていました。自分の好きなタイプが分からなくなりました。
30歳を過ぎて、希死念慮まで感じる様になり、後に実家を引き継いだり、介護もあると考えると、もう限界です。とても結婚等考えられません。