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自由
コーヒー豆_レベル._アイコン.ふかくま
13日前
長くなります…… 私は小学生の頃、寝ている最中に痙攣発作を起こした。あの日は、姉が修学旅行から帰ってきて、久々に家族みんな揃ってワイワイしてた。今でも忘れないのは目が覚めた時に、おじいちゃんもお母さんも泣いていて、弟は姉に抱っこされてて、お父さんは救急隊と話してて… 自分に何が起きたか分からなくて、頭はパニックで泣き叫んで、でも救急車に乗せられたら「このまま入院になる」って本能で思ったのかな。そこから記憶はなくて、、、 その後も何回か痙攣発作が続いて、小児てんかんと診断された。 その時は、活発な子でサッカーもしたり水泳したり好きなように遊んでどこにでもいる普通の子。 てんかんになって、水泳は必ず先生のそばで危険がないように、サッカーの遠征は親同伴で修学旅行は養護教諭が同じ班に必ず着く。普通の子から周りに迷惑をかけている子になっていってるのは理解していました。 3ヶ月ごとの通院、一年に1回の脳波や血液検査、その度にお母さんに付き添ってもらって。 中学に入り安定してきて、とりあえずは何もなかったから寛解になった。 社会人になり、昨年の3月25日また発作を起こしてしまった。発作自体は何十年ぶりってぐらいで、全身の痙攣と呼吸停止。お母さんは、このまま死んじゃうって思ったって言っていました。 また、目が覚めると救急隊に囲まれてお母さんが泣いてて弟も泣いてて… 「あ、またか。」絶望でしか無かった。 病院に行かないといけないのは分かっていた。 だって、肩は外れてるし口は血まみれ、記憶もないし、意識もぼーっとしてる。 でも行きたくない気持ちもあった、だってさ寛解になる時に言われてたのは、万が一発作が起きてしまった場合は薬と一生付き合うことになる。運転免許や色々なことに我慢が必要になる。と言われていたのもあるし、何よりも仕事が楽しくなってきたやりがいを持ち始めた時におきてしまったから。 恐怖心からか、22歳の大人が泣き叫んでパニックで過呼吸。その後から救急車の音や救急隊に恐怖心も抱くようになった。 やっぱり、親に対して申し訳ない気持ちが強くて「こんな子でごめんなさい」「てんかんになってごめんなさい」って何度も謝っていました。 親は生きていてくれるだけでいいって言ってくれたけど、私はメンタルはどん底まで落ちて悔しくて、なんでまた私が?って。 他の病気に比べたらいいのかもしれない。けど病気にかかってしまうと普通の生活が普通ではなくなっていく。そして病気という言葉が頭のどこかにはある。 それでも今の自分の周りには頼れる家族もいて大好きな人もいて、頼れる上司もいて周りに恵まれているなと心底思っています。 何か一つでも恩返しできるようにしないといけない。
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