死にたいと相談した相手に
「友達も誰もいないから」と言った。
「自分たちはそうじゃないの?」と言われた。
もちろん「違います」と答えた。
すぐ話すことの出来る相手がその人たちしかいなかったから、お願いしただけだった。
生きてほしい夫と、死にたい私の3時間ほどに渡る拮抗した話し合いの末、誰かに最期の一押しを頼もうとしただけだった(今冷静に考えると酷すぎるが、その時はもう私の中では逼迫しすぎていた)
私は小学校高学年からいじめを受け続けていて、中学は丸々そうだった。(小学校のいじめはカースト上位以外対象ロンダリング形式、中学のいじめは半分は幼馴染で親友だと思っていた人によるもの)
高校は進学コースで、みんないじめなんて無駄なことに時間を費やしてないけど、一緒にいても私のことを煩わしいと思う瞬間や、常にそう思っている空気の人がいるのを感じていた。
発達障がいを知り、自覚して落ち着くまで、若い時特有の謎の万能感、毒親に植え付けられた他人を常に貶める考え方(今でも多少残っている)、全て全て最悪すぎる記憶と生きてきた証。
だから人と深く関わるなんて怖いし、絶対にしたくない。
夫の親友夫婦だから、気に掛けるだけであって、顔見知り程度であるしただの夫の付属品でいるだけで気分を害するゴミ以下の存在。それが私。
という認識なので、友達なんて自分の人生に最初から最後までいなかったし作れなかったのだなという認識。
友達じゃないの?なんて、世界で一番残酷な言葉だ