100年の友情も冷めるとは、まさにこの事?
私には幼なじみで親友だった子がいた。
保育園から一緒だったけど、その時から実は仲良くなりたくて…小学校3年生の時に同じクラスで家も近所で、波長がものすごく合って仲良くなった。
中学校卒業まで、毎日のように一緒に登校して、習い事や部活が無い日には必ずと言っていいほど、一緒に帰って遊んでいた。
高校は別々だったけど、帰りが一緒になったら必ず一緒に帰ったし、名残惜しくて家の前で何時間も話すような仲だった。
彼女は大学進学で上京。私は専門学校で地元に残った。
それでも、定期的に電話しては何時間も話して、彼女が帰省した時には必ず一緒に夜遅くまで遊んだ。
何度も旅行に行きたいねって話してはコロナでダメになっていた。
念願の旅行だった。1年前から企画して、何ヶ月も前に希望休と有給を取り、2ヶ月以上前には彼女と相談して飛行機のチケットを取った。1ヶ月前からダイエットして、服を揃えて、美容室で整えて…
すごく楽しみにしてた。この為にどんな仕事でも頑張れた。
前日に飛行機の予約確定のメールが来たから、到着時間を彼女に伝えた。
すると彼女は、当日は友人との予定があるから、迎えに来れないと言った。初めての東京で乗り換えが3回以上ある場所まで来てくれと。私が不安症で緊張しいで地図の読めない方向音痴だと知っていながら、1人で来いと彼女は言った。
更に彼女は言った。大学の仲間達との飲み会があるから、21時以降にならないと帰ってこないと。
初めての東京で、一人旅が始まってしまった。
その時の私の気持ちは彼女には分からなかったのだろうか…。
私は、「東京」に来たかったんじゃない。「あなた」に会いに来たのに。
合流してからも彼女は私の事は二の次のように感じた。可愛くて優しくて頭が良くてスポーツもできる彼女は東京でも、たくさんの友人達がいた。
友人に会うとその度に立ち止まって話をする。それは構わない。私だってそうする。
ただ、些か話が弾みすぎているように感じた。私が居ないかのように何分も何十分も話をしている。私に出来ることは何も写っていないスマホを見ながらゆっくりと後ずさり、フェードアウトすること。
私に気を使って、私にも話しかけてくれる子や手短に話を済ませてくれる子もいた。それでも大半は「おまえ誰。」「彼女の何なの。」という冷ややかで品定めをするような目線だ。その視線に堂々とできる程、私は自信が無い。彼女の親友であると胸を張って言える程の、容姿も才能も無い…何も持ってない。
彼女はこんなにも人の気持ちに鈍感な子だっただろうか…。
段々と冷静になってきて、改めて彼女を見る。髪型もハマっている曲もアプリも格好も…共通点が多いように思えて、元は私がやり始めて勧めたものばかり…。
なんだか、ゾッとした。上手く言えないけど、どことなく怖くなった。
私は彼女が大好きだった。ここまで波長があって落ち着く子なんて居なくて、必死だった。
もっと仲良くなりたくて、誰かに取られたくなくて…。他の子と仲が良さげな時は嫉妬したし、「親友」という言葉を事ある毎に出して、彼女が「親友」と返してくれる度に安心してた。早く仲良くなりたくて、もう1人の別の幼なじみと最初は3人で遊んでいたけれど、誘わずに2人で遊びたいと伝えたこともあるくらいには独占欲が強くて、依存していた。(もう1人の幼なじみとは性格が真反対だったとはいえ、仲間外れのような事をしてしまい後悔している)
けれど…段々と温度差を感じるようになった。
私には彼女が1番だったけれど、彼女にとって私は大勢の友達の1人のような気がした。
約束がダブルブッキングした際、彼女は構わず、私の知らない友達も連れてくる。そうでなければ、時間制限を設けてくる。さながら、売れっ子のキャバ嬢のようだ。
100年の恋も一時に冷めるとはよく言ったものだ。(私の場合は友情だが)現代で言うところの蛙化現象というものだろうか。
今の私は、前ほど依存していない気がする。彼女のインスタの投稿を見ても、LINEの返信が来ても、別に何とも思わなくなってしまった。
きっと友達の1人になったのだろうと思う。
「親友」が居なくなったことに関しては寂しさは多少あるものの、肩の荷が降りたようにスッキリともしている。
この一件で分かったことと言えば、
私は「家族」と「地元」が大好きだ。
彼女の心や東京には私の居場所なんて無かった。
私を愛し、必要としてくれる場所はここだったのだ。平凡な家族に、何にもないド田舎だけど、私を裏切ることは決してないと言い切れる。ここには、ちゃんと優しさと愛がある。
きっと私は、私を必要としてくれている人や場所に応えることに一生懸命になる。それこそ、彼女の中の私を探す暇も無いほどにね。