存在の価値が無いという人
ごめん、結論から言うと死にたい。
夫のために死にたいと思っている訳では無いが
夫の思うつぼになってたまるか!との想いもあります。
その夫が「〇〇(名前)が育児も家事も何もできひんかったら存在の価値ない」「育児を(こちらが)やって当たり前」と今日含めこれまで何度も言うもんで。
確かに家事は1%程(過大表現)しかしていないと仮に100步譲ったとして
え?育児?育児ができていないとでもいう?
まぁ誰と問わず、時には誰の手かは借りて育児はしてますよ。
でも1人で子ども達2人を保育園への送迎出来てるのは?
体調崩して早急にお迎え必要になったら行けるのは?
予約から手配し診察にむけ連れていき薬飲ます一連が出来るのは?
保育園のことある事の把握を確認してるのは?
あくまでこれらは日常生活の一例に過ぎない。
『これらを誰がやっていると思ってる?』と言いたい訳じゃないけど。
これでも育児をやっていない範囲判定でしょうか?
名もない家事があるのと同様、名もない育児もあるかの如く、夫が普段目にしていない数々のシーンがあるだけでそこまで言われるか?
育児がどれだけ大変で当たり前ではないことをやってる事になぜ理解がないのか?
協力的な夫像。傍から見たらそれは一理あります。それは子ども達に対する物理的な一幕であり、メイン育児をしている私の心身的なこと気をかけたことなどはここ数年、ないのではないでしょうか。生きていく上で求める事がタブーなのであれば夫には求めないので発言の自由はあると思うのでさせてください。こんな気持ちを持っているのだということくらいは。
母親のやることなんて(子育てを)助け合って。と言ってくれる風潮になってきたからこそ一つ一つは子どもと関わった経験があるひとにならば誰にだって出来るかもしれない。だから母親がしなくても子ども達は育つかもしれない。
が、会社とは違って会社はとある業務を引き継いだり担当が変わっても回るかもしれないが、
子どもの母親は替えることなどない。
一生懸命、日々、自信を持つために自己受容に慣れようとやってきた努力をその一言で「存在価値がない」と言いきれますか。