私たち凸凹夫婦が目指すところはきっと、
「健やかなるときも病めるときも『ともに助け合い』」ではなくて
『二人三脚』でもないんだ。
だって無理なんだもん、
『気持ちを分かってもらう』
『普通を分かってもらう』
ということが。
目指すところを間違えると、普通の夫婦像を目指すとあっという間に心が焼け野原。
自分自身困ってない発達障害の人との生活は本当に、普通像じゃなくてマニュアルとかトリセツとか、そんなだ。きっと。
私も発達障害疑いのある中で、カウンセラーの先生と「でも普通って一体なんなんでしょうね?」とお互いに言ったことがある。
とある当事者による動画を見て腑に落ちたんだけど、多くの場合の「普通は」は、「社会的にどうか」ということ。
私も普通はどうするのか分からなくてできないことはある。
ガールズトークとか飲み会とか。本当に悪気なく、どうしたらいいのか分からない(だから楽しむではなく、多分こうするのが世の一般?と考えながら演技して場を乗り切っている)
旦那には旦那の、悪気なく分からない、できない、気にもとめてないことがある。結婚当初は、きっともっとたくさんハテナ?が沢山あったんだろう。
「俺だってけっこう頑張って合わせてる!」というセリフは、本当なんだろう。
分からない、理解できないけど嫁に言われるのだからやるか、みたいな。
やらなくてもいいと思うのに、叱られるからとりあえずやっとこう、とか。
分からないなりにしてみたら上手く行かなくて(上手くできてないことは自覚できてないから)指摘され続けてウンザリとか。
…疲れたからここで一旦投稿。