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自由
コーヒー豆_レベル._アイコン.Kitazaki
1ヶ月前
大学に合格したのに、学費が用意できなさそうになった日、近所のラーメン屋に入った。俺は多分無理をしていた。心が張り詰めていたし、もう全部終わりにしてやろうか、と自暴自棄になっていた。自分が必死に小論文を書いていたのを知っているにも関わらず、応援してくれない親父とか、大学に通ってる姉貴とか、友達とか予備校とか、全部憎かった。 元々親父と仲が悪くて、親父の知り合いの家に押し込められていた。実家はかなり遠かったが、一家心中を企てる気でいた。元々、母親に殴られたり怒鳴られたりしていた。父親も無関心と言いながら、ずっと俺の味方じゃなかったし、姉も碌な人間だとは思っていない。いっそ全員殺してやれ、という思いがつのった。 腹が減っては戦はできぬ、というのは経験からよくわかっていた。おなかすいちゃったなあ、とか言いながら、本当に行き当たりばったりで店にたどり着いた。 俺はなぜか、俺が全部死んだらテレビがこの店にインタビューしに来るかもな、とかぼんやり思った。テレビがインタビューに来ると思うと急に刑罰や死が現実に近づいてきた。来るぞ。そんな感覚だった。さあ、最後の食事だ。覚悟が要る。手が震えた。引き戸に指紋がついた。ここでいいのか。迷った。一瞬。力がすっ、と入る。ガラガラ、と簡単に扉が開いた。 「いらっしゃいませ〜」 「…ひとりなんだけど」 一人がいいし、独り以外はありえなかった。 店には、俺と店員以外にいなかった。俺は、何も考えていなくても平気そうな顔に徹することに精一杯だった。トッピングも何もない、一番安い塩ラーメンを頼むと、視界が何だか、全て灰色がかって見えた。ぼんやりする。 派手なFMラジオの音が夜の7時を告げる。 「お待たせしました」 という声とともに、俺の目の前に、とん、と、塩ラーメンの椀が置かれた。湯気が眼鏡を白くした。眼鏡をハンカチで拭いて、やたら大きなチャーシューを口に運んだ。ほろり、と口の中で脂身が溶ける。豚らしい味がする。麺を蓮華に掬って食べた。丁寧にとった、鶏のだしの味がする。凛としたねぎの香りがする。麺が喉を通る心地がする。心の中の、何かがぷつん、と切れた。ぼろぼろと涙が出た。 うまいよ。このラーメンはうまいよ。 声が言葉にならなかった。久しぶりに、温かいものを食べた。橙色の照明がぼやけた。 そのときは生きていていいかわからなかったのだと思う。ただ、生きることを許されたような気分になれた。それだけでありがたかった。 食べることは、生命に彩りを与えてくれる。 恐らくだけど、色々な生命が俺のために寿命をなげうって与えてくれている。説教臭い思想だと思うけど、自らが食べたものに恥じない生き方をしたいと俺は思っている。品行方正でなくていい。美しくなくてもいいし、疎まれていても構わない。しっかりと、自ら成し遂げたい、と思ったことを完遂するだけ。ただ、それだけ。 大学のレポートやんないとね。
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