泣きたくない
私は昔から泣き虫と呼ばれて育ちました。
泣いてしまった時に思っている事として、申し訳ない、この人の時間をムダにしてしまった、せっかくこうやって教えて貰っているのに、自分ダメダメなのに時間を使ってもらってありがたいなど他人に良くしてもらう、時間を使ってもらう、話を聞いて貰うと毎回涙が出てきます。そのため昔から「怒ってるわけじゃないよー?」と優しく声を掛けていただくことも多いです。
私は看護学生なのですが、それに伴い教員や看護師との意見のすり合わせや相談が必須となります。そもそもASD傾向があり相手にわかる言葉で伝えることが苦手な上に、だんだんと涙がでてきてしまうことがよくあります。看護学生として涙は禁物です。泣いていたら正常な話は難しく、泣きながら患者様の元へ行くことは絶対に出来ませんし、指導していただいてありがたいのに、患者さんや周りからみると私が虐められているようにみえる可能性もあり、私が泣くことにより不利益を与えてしまいます。一方で自分の思いを伝えようとすると涙がでてきて、止めようとする度にどんどん溢れてきて…
今日、私の行動のフィードバックとして、相談が足りていないのではないか、自分で壁を作りすぎてはいないかとご指摘をいただきました。その時に自分の思いを伝える場面で必ず涙が出ていることに気が付きました。
自分の思いを伝えようとすると、涙が出るというのはどのような心理状態なのでしょう…
私のストレスへの対処法として幼児退行なのでしょうか…
幼児退行であれば思い当たる節があります。
私が生まれた時に母は精神的に不安定でした。だからなのか、母から「貴方が小さい頃は育てやすかった」と言われ私が静かにしていたからなのかなと思っていたのです。しかし別の話で「疲れててあなたが泣いてるのを放置して洗濯物とか良くしてたなー、最後の方は泣き疲れて眠そうにしてた時は流石に可哀想になったけど笑」のようなことを言われました。その時に私「いや、これやん!生きづらい理由これやん!まじ反応こまるー」と思っていました。
これにより母に相談した時に対処法を提案され、これじゃないと感じた理由が分かったような気がしたという場面がありました。
これにより愛着形成が完全に出来ているわけでは無いと考えています。
その一方で愛着形成などの概念は小児のみで、それ以降は基本的に個性のひとつとしてとらえると聞いたことがあります。しかし、私の仮定が正しいのであれば、本音を話す度に泣きわめくというのが私の個性のひとつなのでしょうか…
あ、個性であるとしてもそれに対して後ろ向きに捉えることは無いです。ASD傾向と同じようにひとつの個性であるといっそ、言われた方が受け入れやすいかもしれません。
私のよく行う防衛機制は否認、置き換えの他に知性化が特に多く、自分の心理状態をすこしでも解き明かしたい願望にかられ、慰めなどよりも他の人の考え・思いをお聞かせ願いたいと考えています
長々と駄文の垂れ流し、失礼いたしました。
今回は主に以下のことについて主に意見をいただきたく投げさせていただきます
・涙が出てしまうのは何故なのか(幼児退行?)
・本音を話すときに泣かない方法
・涙を流すのは私の個性なのか