私が使う「優しさ」は本当に優しさなのか
身勝手な「優しさ」の押し売りなのではないか
そう考えたら、眠れなくなってしまった。
ああ、嫌だなと思う。
他人軸で生きている。
何をしていても誰かのことが気になって、困っている姿を見れば、手助けをしたくなる。
多少無理をしても、自分を犠牲にしても、誰かを助けたいと思ってしまう。
何を守ろうとしているのだろうと、よく考える。
人を助けることで、自分の何を守りたいのだろうか、と。
そこには何か打算があって、何かしらの理由があるのだろうけれど、今はまだ分からない。
ただ、友人たちや、目の前にいる人が幸せならうれしくなるのは確かで。
そして、目の前にいる誰かが、不利益を被る姿を見ることが、存外苦痛らしい。
いい子の振りをしたいだけじゃないの?と、自分の内側から声が聞こえる。
そうなのかもしれない、と思う。
どこまで行っても、己のことしか考えられない酷い人間だなと思う。
同時に、本当の優しさや思いやりとは何か?
自己満足上等だろう。人は自分勝手にしか生きられないのだから。と開き直る自分もいる。
まだ始まってすらいないのに
姦しい自己に振り回されて、今日も疲労困憊だ。