子供の頃から最近まで自他境界が曖昧で、よくおかしな人の養分にされていた。
否定されて育った。
友達も恋人も、今考えれば私を格下に見て気持ちよくなっているような人達が多かった。
大人になってから普通の人間として扱ってくれる人達に出会って、今までされてきた扱いに苛立つようになった。
快適な向こう側に行けるように自分を変えようとした。
まず母親の言う「悪いこと」をしまくった。
心が軽くなった。
自由な気持ちになれた。
明るく活動的になった。
一緒にいて心地よい友だち関係を楽しめるようになった。
いわゆる世間一般的なルールも破りまくった。
正しく生きなくたって咎められることはないんだなぁと安堵した。
これまではどれだけ善良な振る舞いをしていても、いつも誰かに怒られるんじゃないかって怯えていた。
けれど、自分に都合のいい振る舞いをしても誰も困らないし怒らない。
なにより自分が楽しくなれるメリットを見つけてしまった。
ルールを破ったら今まで欲しかったものをたくさん手に入れられた。
他人に都合がよく利用されやすい人間性を維持するなんて馬鹿馬鹿しく無価値だなと思った。
数年前まではまだ自他境界を認識することがうまくできていなくて、精神異常者につけ込まれ痛い目をみた。
対人操作して私の周りのコミュニティを次々と破壊していき、私の能力を無償で都合よく利用しようとしてくる人に粘着されていた。
その人から、これからも仲良くしたい人達との関係を守るために拒否したかった。
でも実行するのは思いの外大変だった。
きっと向こうも自他境界が曖昧な人だったんだと思う。
私を希望通りに動かすために、罪悪感を植え付けようとしてくる人だった。
結局その人のことをハッキリと拒否することはできなかったけど、要望に対してはNOを伝え続けることはできた。
そうしている内に向こうの方から縁を切って消えていった。
「やっぱり都合の良い私でいる必要はないんだ!」と感じられる経験ができたこと、友人等との自由かつ思いやりを持ち寄った会話の積み重ねで、自他境界が少しずつハッキリしてきた。
これまでは、どこか妙な違和感のある人に対して「悪い人じゃないかもしれない。疑うのはよくないことだ」と考えてしまい、丁寧で優しげな返答をしてしまっていた。
今は全てスルーしている。
間違ったコミュニケーションをとる相手にあれこれ気を遣い餌を与えつづけるという私の行動は悪い結果をもたらす。
だからやめた。
ここでは、しんどい時、気が乗らない時にはコメントの返信はしていない。
気が向いた時だけ。
私はしんどいんだ。
疲れてるんだ。
私にだって都合があるんだ。
この先も自分中心の人生を歩みたい。
誰を助ける必要もない。
自分と大切な人の世話だけしっかりしていればいい。
しょうもない人の世話なんてしていたら人生が台無しになる。
良いことが全くないわけではないけど、悪いことが多すぎる。
そんな生き方はもうしたくない。
100年後にはみんな生きていない。
私は私に都合のいい選択をし続けていく。
その過程で、親しい誰かにとって心地よい行動になっていたらラッキーだね。