「我慢」という名の美徳、そしてその日本の精神性について。
まず一つの例として『結婚生活』について
<『結婚生活』とは我慢の生活の始まり?>
僕は改めて考えてみた。
そんな肩肘張っていると余計疲れて思うようにいかなくない?
やっぱり日本の国民性なのか『我慢』『辛抱』『忍耐』を美徳とするのだなと。
結婚生活に対する考え方は海外と比べて明らかに違うような気がする。
多分その我慢は《やせ我慢》の部類に入るようにと思う。
そして、その我慢をまた産まれた子供にまた押し付けるという負のスパイラルか。
いい加減、気づいた方が良いと思うんだけど、その美徳としている過剰なまでの日本の精神性を。
そりゃ嫌でも息苦しくもなるでしょ、メンタルも病むはずでしょ、
自分たちでわざわざ制限制約が過ぎるんだし、わざわざ不自由にさせているのではないのか。
日本人は真面目で勤勉?
もはやそんな過剰なまでの国民性は今のこの時代の世の中で必要なのかな。
そして、今のこの時代に沿う流れなのか?
代々受け継がれてきた日本の精神性で育った中で本当の意味で得たものや益になったものとは何?
案の定ストレス社会メンヘラ急増社会じゃないのかよ。
せっかく良い性格のはずがことごとく本末転倒な結果であるのでは?
『我慢』という名の美徳。
最近ではそのように自分自身でさえ呼びたくなるのだ。
そしてその精神性はある意味上手く仕組まれたトリック罠ではないのか。
都合のいいように『我慢』『辛抱』『忍耐』を正当化して理由づけしているようにしか思えないのだ。
いずれにしても「我慢」という言葉一つにしても《生きる》も《殺す》もできてしまうのではないか。
人格形成もまず言葉から始まるのだ。
皆で考えてもらいたかったので、是非コメント欄にご意見などよろしくお願いします。