偏見を持たないとか、差別しないって凄く難しい気もする。それが当たり前だと受け入れるということは、差別してはいけないとかすら考えないということだからだ。
僕としては、あからさまな差別さえされなければ、それで十分ありがたい感じではあるけれど、差別が前提にあるからこその差別してはいけない、差別しないであって、認識しないとでもいうのか、当たり前だと思って良くも悪くも何も考えなくて良くなるのが、本当の差別のない世界だと考えると、相当、というよりほとんど無理な気さえしてしまう。
それとは別の話だが、僕は当事者ながら、そういった方々の文化にほとんど興味がない。SNSで出会った人は、割とそういうものをよく知っていたりしたけど、僕としてはそれをそういうジャンルというか区分けとして考えなくてもいいような気がして、その中に好きなものがあればそれでいいんじゃないかと思ったりしていた。
ただ、それはもしかしたら建前で、自身の、アイデンティティというか、個性を自身がどこかで否定的に考えていて、そういった歴史とかを学ぶことをどこかで拒否しているのかもしれないとも思った。
どちらが真実かはわからないけど、偏見や差別の問題っていうのは結構複雑だなと思った。