先生からの一言による悲しみと自分への悔しさ
「んー、んで、この研究の目的は何?」
頑張った先に待っていた一言目がこれ。
大好きで大尊敬な先生から言われたからこそ、ものすごく心に響いた。本当にショックで、思い出しては涙が出てきます。
褒められるに値する文章ではない時間はあるけれど「具体的なアドバイスをもらうために、先生に提出するものは自己ベストを尽くしたものを!」を意識していて、真剣にやったからこそ、その過程すら認めてもらえてない気がして悲しかった。
………
私は卒業論文を頑張っている大学四年生。
もうすぐ他のゼミを交えた進捗報告会があるから発表レジュメを作っている。
必要な論文を揃え、これらをどのように繋げれば論拠のわかりやすい構成になるかを真剣に考え、構成を練り、書き、推敲し、さらに時間をあけて再度推敲し、そして提出。
こんなふうに頑張った時ほど、遠回りをしているかのような結果になることが多くて(もちろんその努力が無駄になるとは思ってないけれど)ただ取り組んだ時間とそれによる疲労に対して満足感を感じているだけの人になっているのではないか、理解が悪くて、センスがなくて、非効率な人だなって気がしてきてしまう。
来年から社会人だし、こういうネガティブな感情も自分でコントロールして、感情とやるべきことは割り切って頑張らないとなのかもしれないけれど、昨日も今日も、先生からの一言が辛くて、卒論から逃げてしまっている。
でも、せっかく大好きな先生が言ってくれたことなのだから、自分の成長の糧として前向きに捉えて、厳しく言ってくれた先生の期待に応えたいと思う。
感情のコントロール、難しいです。