無気力と虚無感に耐えられない
一言毒親育ちって言ったってなかなか理解されないと思う。毒親だっていろいろある。
私の両親は幼い頃から毎日大喧嘩で父親の暴力暴言が怖くて仕方なかった。それは私にも飛び火する。父親は私に1ミリの愛情も無いのは子供心にもはっきり分かった。
母親からは何十年も毎日のように愚痴を聞かされたり父に嘘をつくように強要されてしんどかったけど、母に嫌われるのは嫌だから、一生懸命聞いた。
なのにたまに私が「私もこういう事が辛かった」とか言うと「そんな事は聞きたくない」と言って不機嫌になる。
高校生になった頃父の単身赴任をきっかけに母が飲み歩くようになった時も、「お母さんが楽しいならいいよ」って言って送り出してたけど、本当に寂しかった。
簡単にご飯を作っていく事もあれば、お弁当が置いてあったり千円札が置いてあって「これでお弁当買いなさい」と置き手紙がしてある。
それでもまだ耐えられた、っていうか耐えた。
でも父からしょっちゅう在宅確認の電話が入る(当時は携帯電話なんてない)のが怖くて、あんまり毎日は行かないで欲しいってお願いした。
それは叶わない願いで、母はいつも「そしたらちょっとそこまで〇〇を買いに行ったって言いなさい。飲み屋の電話番号言っとくからすぐかけてきなさい。そしたら一度帰るから。」としか答えてくれなかった。
多分誰にも分かって貰えないと思うけど、それが私にとってどれほど恐怖で不安だったことか。
とても勉強なんか出来る環境じゃなかった。元々勉強は出来た方だったのにどんどん成績も落ちていった。周りの友達もそんな私から何となく距離を取るようになっていった。
こんなことどれだけ書こうとしたってほんの一部。
まだ幼い私の胸ぐら掴んで「ガキのくせに」とか「お前がいるから家の中が暗くなる」とか、 そんなこと実の父親から言われる気持ちみんなわかるんだろうか。
中学生の時変な男に絡まれて死ぬほど怖かった時はさすがに父も心配してくれるのかと思ったけど、あいつは心配するどころか軽蔑するような冷たい視線で私の虚言なんじゃないかと疑った。ショックで言葉にもならなかった。しばらくは毎日毎日泣いた。何年経っても思い出しては泣いた。
今思えば幼い時私は家に居ると何故か咳払いが出た(もちろんそれも父に気持ち悪いと言われた)。大人になってから知った事だけどストレスで咳払いが出るらしい。
それと前に書いたけど中学に上がった頃には自分が自分でないような不思議な感覚に囚われる事がよくあって、これもつい最近離人症っていう症状だって知った。
だから何?うん、何なんだろう。
言えるのは結局私はろくでもない人間にしかならなかったって事。
何にも出来ない。何ひとつやる気にならない。やらないくせして毎日不安で不安で仕方がない。死にたいけど死ぬことも出来ない。
そしてろくでもないくせしてそれがバレないように装ってる。
もう私は耐えられそうにない。