精神科に行っても、自分の本当に苦しい部分に対応してもらえない。
結果的に出ている症状の改善より、過去の様々なストレスを引きずっている心の状態をどうにかしてほしいのだけど、今までちゃんと対応されたことが一度もない。
むしろ、症状や現状に注目されるだけで、過去のことはほとんど気にされていないように感じる。
三つ子の魂百まで、ではないが、結果があるということは当然原因があるわけで、結果を緩和しても、原因が取り除かれていないのならどうしようもないのではないだろうか?
過去のストレス状態からは離れられていたとしても、心の傷は確実に残っていると思うし、その傷が癒えないからこそ、本来普通にできるはずのことができずに苦しんでいるわけで。
祖父が癇癪持ちで、母親は気分屋、父親は事なかれ主義、8歳上の姉は男気性と自分でいう人で、6歳上にも姉がいるが、田舎の農家のため体が男の自分は跡取り、姉は年齢が上だから自分が偉いといい、そのくせ体が男だから僕は跡取りだと周りに言われ、その上マイノリティの性質まであるので余計に受け入れ辛く、押さえつけられ顔色を伺う状態が物心つく前からある中で、小学校では容姿のことでいじめられ、ようやく終わったと思った中学校では、ほとんど知らない人に囲まれている環境にもかかわらずすぐにいじめられ、また内容も思春期には1番触れられたくないようなことだったため本当に辛かった、マイノリティの部分をまだ自覚していなかったが、それも含めかなり複雑なひどく辛い感情があった、また小学校の頃のいじめは両親も知っていたようだったが対応はされなかったのだと思う、中学校の頃には先生が、このクラスでいじめられてるやついるか?と聞いてきて、女の子がこんなことを言われていて可哀想だと言ってくれたが、つらまらないだか面白くないの一言で終わってしまった。とにかく逃げ場がなく、何にも価値を感じられず、ただただ明日苦しむために今日生きているだけの人生だった。
それでも我慢すればいいのだろうと耐え続け、農家の仕事も多少はしたが限界をむかえ心が折れ、縋る思いで精神科を受診したが病気ではないと言われて、死ぬしかないのだと自殺未遂をしたが死にきれず。どうにか周りに依存して生きてはきたが、一緒に住んでくれた人とも感覚が合わず、それでも生きていける状況なだけいいかと思っていたが、現実的に生活が難しくなりそうな状況になったため、もう一度精神科を受診したが、
病名をつけるなら、薬は望むなら出してもいいが、人が怖いなどは性格なので、認知のズレを意識して、就労はできないと思い込んでいるだけなので普通に働いて、自己肯定感が低い部分は時間をかけて解消するしかない、
など本来解決してほしい部分は軽く見られ、現状の症状をいくらか緩和できる程度の話にしか思えなかった。
どうしようもないのだろうと帰ろうとしたが、あまりに辛く、ソーシャルワーカーに相談もできると受付に書かれていたので、その話をしている時思わず泣いてしまうと、もう一度先生と話すことになり
辛かったですか。
と言われたことが、あまりに自分の認識とずれがあることに嫌気がさした。その後行政の就労支援などがあるということで説明を受けることになったが、冊子を渡されて終わってしまった。
病院に向かう時もそうだったが、帰り道近くの陸橋から飛び降りれればいいんだろうなと思いながら、結局また死ぬこともできずに帰宅した。
感情が整理できず、病院に言っても理解されずで思わず無駄な長文を書いてしまいました。失礼しました。