叱る人or慰める人
別のSNSであったこと、というより私の人生経験でしかないのだけれども。
「叱ってくれる」友人やフォロワーは大事にするべきだと考えている。
それは「自分を否定する」存在として解釈するのではなく、「自分を冷静に見てもらえる」存在として。
「私可哀想なの」といってヨシヨシ宥める存在も羨ましいけど、それでは進展のない気がする。
するけれども...
自己肯定感や居場所を作るのなら、そういう人が集まるものを持つべきなのだろうか。人生で私を慰める存在はいなかった。叱る人ばかりだった。
叱る存在を持つ人と、慰める存在を持つ人。
どう違うのだろう…