私にとって自己受容とは、「自分を褒める!」という方向性ではない。
自然に湧き出てきた感情という色の付いた渦を見つけ、汲み取り、名前をつけていく。名前のついていない渦が無くなるまで丁寧に汲み取って、全部にしっくり来る名前をつけていく。
そうしてかき集めた全ての名前のついた渦たちを改めて眺めてから、自分の中の精神の核(鬼滅の無限列車編に出てきたアレに近い)のようなものに話しかける。「つまりあなたはこうしたいの?」「この気持ちとこの気持ちがせめぎ合って辛いの?」など。
答えがもらえることもあるし、問いの質が微妙で答えられないこともあるし、答えたくないこともあるし、そもそもまだ核に出会えていないこともある。
この一連の作業が私にとっての自己受容。ハイと言ってもらえなければ失敗というわけでもない。……自己一致といったほうが近いかもしれない。
自己受容したからと言って甘やかしすぎることも過度に厳しくすることもない。
私は自分を精度良く認識するために、"ことば"をとても大切にしているのかもしれない。