人に頼るとは?
質問は半分から下にあります。上部は、悩みの経緯です。
悩み吐き出す場所1回全部消したら、死ぬほど気分が落ち込んだ。久しぶりに死ぬかと思うくらい泣いた。
youtubeで精神科の先生の、私はただ泣いて話を聞いて貰いたいは危険みたいな動画を見ました。それでよく分からなくなりました。だから、消してみたんです。そのあと、死にたくなって死にたいで検索したら筑波大学の思考のくせというPDFを読みました。
どちらとも見て結局私が悪いと思いました。最近はここでよく相談も出来て、割と良い感じだと思っていました。私がここに居ることはわがままな甘えで、だから吐き出す場所を全部消しました。そしたら、色々爆発して、不安になって、久しぶりにパニックになりました。だから、生きるのが向いていないと思いました。
私の人生がこんなに苦しくて、自立出来ないのは、私のせいで私の責任なんですね。でも、直らなないので死ぬしかないです。
少し前、私は過度な自責!自己肯定感が低いだけ!人に相談しながらちょっとずつ積み上げて行こ!ってやっと思えるようになりました。でも、分からなくなりました。
人にどこまで相談していいんですか?人にどこまで頼っていいんですか?18歳にもなればもう1人で自立してメンタル建て直して、やらなきゃいけないこと出来るようにならきゃダメなんですよね?そりゃあそうだよね。
精神科の先生のyoutubeを見て、私が中学の時に受けたよく分からないカウンセリングも、相談しても親身になって一緒に解決案を見出してくれなかった周りの人間も、あれで合ってたんだと思うと絶望しました。抱きしめて貰えないことになれるって、あの対応で立ち直れなかった私はもう終わりってことですか?あの動画を見て、結局どこまで人に頼っていいのか分からなくなりました。
私は泣きながら、親身になって話を聞いてもらいたいという動画を見た方がいたら、感想・解釈を聞きたいです。
自立のための相談と、依存に繋がる相談の区別がつきません。抱きしめて貰えないことになれるとは、具体的にどのようなことでしょうか?人を頼った時親身になって聞いて貰えないのが、自立のために正しいということでしょうか?でも、友達に相談されたら普通に共感して普通に慰め(アドバイス等含む)ますよね?それでも、人間って話を聞いて貰えただけスッキリして整理できて、普通に私と離れたところでも生活出来ますよね?たとえ、その人が泣いていたり、泣きそうになっていたり、している場合でも何かが変わることは無いと思うんです。
あの動画では近づき過ぎると、良くないお互い不幸になると言っていました。近づき過ぎるとは?具体的にどういうことか分かりませんでした。全体的な動画の流れを解釈すると、親身になって相談を聞いてもらうことが該当すると思いました。”私はただ泣いて親身になって話を聞いてもらいたい”のアンサーとして語られていている動画なので、”近づきすぎる”という状態の解釈が前文のようになりました。その後、手を繋いでくれない、抱きしめてくれない、Hなことをしてくれない(笑)ことになれる、と言っていました。これだけ聞くと近づきすぎるとは、身体的接触のことを言っているように思えます。でも、親身になって話を聞いてもらいたいだけに対して身体的接触は危険って何かいつの間にか話がすり変わったことですか?最後の方に、手助けを受けて元の場所に戻ると言っていました。どこまでが危険なのかよく分からなかったので、どこまでが正当な手助けかも分からないまま動画が終わりました。これらは、私のアホな解釈です。ただ、私がどこまで人に相談して頼っていいか分からなくなってしまいました。
どこまで人を頼っていいのか?
どこまで人に相談していいのか?
また、あの動画の解説・解釈等あれば共有したいです。