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メンタルヘルス
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1年前
18年心を病んで見えてきた事
精神科に通い始めて満18年になります。 ※とても長くなります デザイン会社で上司や同僚からのパワハラやいじめを受け、労働環境も過酷な長時間労働だった為、適応障害になり1年半休職しました。 元々負けず嫌いで正義感が強く、曲がった事や中途半端が嫌なので、辞めずに復職をしました。 すると、私が休職中に原因となった上司と同僚は退職しており、休職前に相談に乗って貰っていた上司が社長になっていました。 彼は、「君の能力は評価しているし会社に必要だから辞めないで欲しい、戻ったら今迄よりも君を重用する」と約束してくれましたが、実際は違いました。 「病気が完全に治る迄は給料は半額、その代わり体調が悪い時は遅刻や早退・休む事も大目に見る」と。 復職して部署が無くなり、新社長の元、それでも出来得る限り定時出社し積極的にプロジェクトに自主的に参加し、提案や同僚のサポートもしましたが、半年過ぎてもまともな仕事は与えられず、私の仕事はゴミ捨てとお茶入れ・会社の年賀状作成と宛名書きのみ。新たなパワハラが始まりました。 まともに仕事をくれないのに「君の仕事は給料に見合わない・会社の財政を圧迫している」と言われ続け、ついにはうつとパニック障害を発症し、出社も段々出来なくなり、結局辞めました。 辞めた後は、抜け殻の様に何も出来ない日々が続いていました。 本や新聞などの長文が読めない、通院以外の外出が殆ど出来ない、大好きだった料理が出来ない、眠剤を飲んでも眠れず昼夜逆転、お風呂や歯磨きなどの清潔行動が取れないなど。汚い話、お風呂は週に1回入るのがやっとです。 適応障害の段階で辞めていれば、こんなに長く病む事は無かったと何度も後悔しました。 何度か自死を試みたこともありました。 一昨年末父が急逝し、同時に母が心身を壊して入院し、手続や看護・介護で外出しなければならない事ができ、無理やり社会復帰を迫られる事になりました。 きょうだいは頼りにならず、母の事を夫に手伝って貰いながらこなす内、突然「自分の人生を大事に生きていない」と云うやり切れない思いが溢れてきました。 主治医に話すと、「ようやく頭だけではなく心でその事が理解できたのなら、貴女は大丈夫だよ」と言って貰い、とても心が楽になりました。 抗うつ剤は3年前から断薬し、心や体調は漢方で調整し、パニック発作の薬はお守りとして持っています。 少しずつ自分に優しくしたり、できない事を無理せず許したりが出来る様になってきました。 罹患して18年、まだ出来る事は少ないですが、残りの人生をやっと前向きに進んでいけそうな気がしています。
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