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病気・からだ
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1年前
私を続けることが辛いです。
11歳の夏、尋常性白斑という病気になってから7年が経ちました。 病気の進行は止まったけれど、治ってはいません。夏になると、半袖を着ます。きもちわるいまだら模様の自分の肌が目に入ります。直視していたら気が狂ってしまいそうなくらい、自分の肌が嫌いです。 長袖を着ます。半袖で颯爽と歩くひとが目に入ります。似合いもしないダボダボの服を着て、汗だくの自分がどうしようもなくみじめに思えます。 今は通院も治療もしていません。病院に行く度、世界で1番不幸だと言わんばかりの顔をして待合室に座る自分が嫌いになりました。ひと月5000円ほどのお金を掛けて、治りもしない病気のために時間を浪費することが馬鹿らしく思えて、自分が怠惰でなければ完治したかもしれない可能性から目を背けつづけています。 死にたいです。一生この病気と共に生きていくことに耐えられません。痛くも痒くもない、ちょっと肌の色が違うだけで死にたい死にたいって騒いで、本当に死にもしない自分が嫌いです。もっと不幸な人はどこにでも見えるのに、私にとって世界で1番不幸なのは私です。 中学校3年生のとき、クラス全員から無視をされた期間がありました。いじめというほどではないですが、耐えられなくて、リストカットをしました。リストカットが母親に気付かれて、白斑のせいでこんなことをするのかと泣かせてしまいました。その時はじめて、ずっと私が必死に白斑を気にしていないふりをしていたことが無意味だったと知りました。私の虚勢にはなんの意味もなかったことを知りました。 私が白斑に際して悲しそうな素振りを見せるたびに、母親が彼女自身を責めることが不快だったことにも気が付きました。自分は不幸だと思いながら、不幸じゃなければ良かったのにと思いながら、すこしの不幸も、すこしの悲しみも横取りされたくなかったことを知りました。 当時は自傷行為しか悲しみを出力して見えるかたちにする方法を知りませんでしたから、またやりました。また母親に気付かれました。太ももを切ると、着替えの際に気付かれることに気が付きました。夏に傷を作ると気付かれることに気付きました。 夏は自傷をしなくなって、高校では人には言えないようなことでも言い合えるかけがえのない友人が出来ました。冬でもほとんど自傷をすることはなくなりました。 大学に入って、けれど不意に、自分の肌が気持ち悪くなりました。友人とは進学先が違います。消えたかったことを思い出しました。私なんかいなくなって、私の中に誰かが入って、代わりに私をやってほしいと思います。虚勢じゃなく本気で、こんなものを気にしない誰かになってほしいです。両親のことも傷つけない、誰のことも傷つけない誰かになってほしいです。私は私から解放されたいです。
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