楽しい時間を過ごせば過ごすほど反動が大きくなる
楽しい時間を過ごした後は必ずと言っていいほど不安感、自己否定、希死念慮が出るようになってしまいました。
友達と遊んだ日の帰りは頭の中が楽しい思い出でいっぱいのはずなのにその上から不安感のベールをかけられたようになってボロボロ泣きながら家に帰ります。
家族と数日間旅行に行って帰ってきた次の日はその数日間の倍の期間、自己嫌悪と希死念慮が募ります。楽しかった!って気持ちで終わりたいのに、次はどこに行けるかな?ってわくわくした気持ちで終わりたいのに一気に気分が落ちて電気すら点けたくなくなります。
楽しい時間を過ごした後、決まって「私が楽しい時間だけを過ごしていいわけない」って自責をしてしまうのです。そして始まるのが自己否定、希死念慮との戦い、最後にはスッと軽く二の腕を切り付けてしまうのです。跡が残るのに。これから夏がやってるのに。
話が少し逸れますが、私は1つの区切りをつけたくて、とある国への1人旅行を計画しています。10年前から行ってみたかった憧れの国です。家族に意を決して相談してみると、いいよと言ってくれた。嬉しかった。希死念慮がやってきてもその国に行くまでは死ねないと「生き続ける理由」の一つになっていましたが、まだ貯金もあって働いていないこの無職期間にその地へ行こうと決心しました。その旅行を終えたら、私はまた社会に出る準備をしたいと思っています。
でも旅行の計画を立てている間も「何呑気に旅行の計画を立てているのだろう。家族に迷惑をかけてばかりなのに」「社会に出れば人をイラつかせるだけなのに、何の区切りだというのだろう」とぐるぐる自己否定が始まります。
行かないと後悔する気がする、でも行けば貯金はもちろん半分になるし(家に入れるお金はギリギリあるけれど)、本当に社会に出るきっかけになるかもわからない、でもこのような機会が次はいつくるかわからない、でも、でも、でも…………………
私は自分が楽しむことに罪悪感を感じているのです。だから反動がくるんだと思います。家族にろくに恩返しもせず、半年で社会から逃げた私だけが旅行なんてどうかしているってわかっています。甘えてるって怒られるかもしれませんね。
でも、どうかお願いします。わがままだって分かっています。ですが、「いいよ」とだけ言ってもらえませんか。
私は許されたいんだと思います。
誰に許されたいんだろう。家族は許してくれているのに。勝手に想像している世間の目に許されたいのかもしれないな。
どうかお願いします、いいよって言葉をください。