今回のふせんに答えつつ、許せないその人のことを少しずつ思い出していた。
※以下は実際にあったことですので、こういった昔語りが苦手な方はスルーしてください。あとめちゃくちゃ長いです。
※読んだ後から不快などどう思われても責任は負えません。自分に当てはめない、なんでも大丈夫な方だけ読み進めてくださいね。
当時は高校生だったか。クラスメイトで、文化祭の準備をきっかけに交流していた友人の集まりの一人であったが、容姿端麗で頭も良い方で、かわいい声。いかにもモテそうな要素満載の少女だった。
モテそうとは言ったが、実際にそのときの彼女には彼氏がいた。だが、その相手があまりにも狩りの目(※セクシャルな言動が苦手なのでこんな表現です)をしてくるので、相談を私と、共通の友人(男)に持ちかけてきた。それがきっかけで、私は彼女と急接近したことになる。
それから私と彼女は夏休みに何度か遊んだ。カラオケとかプリクラとか、高校生活をしているな〜って感じのことをやってきた。
家族の話もしてくれた。かなり壮絶な環境であることはわかるが、ここでは詳細を省略する。
また、ふいに見せてくれたSNSのアカウントは、フォロワーもそこそこいる趣味垢だった。
10月くらいだったろうか。彼女の影を見たのは。
それは、偶然TLに流れてきた彼女の趣味垢だった。日頃鍵垢である私のところに、おすすめユーザーとして流れてきたのだ。フォローもしていなかったので、プロフィール画面を覗いてみる。
すると、かなり衝撃的な呟きを目にしてしまう。
画像だった。細く白い脚と、隣には解けそうなスニーカーを履いた長ズボンの脚…あれは紛れもなく私だ。しかも、その画像はプリクラのトリミングされたものである。
そこにはこう書かれていた。『こいつ、いつも会うたびに同じ服装なんだよねーマジありえん』と。続くスレッドには、私の容姿を否定したり無い事を言ったり言いたい放題で、終いには『のこのこ生きやがって』と呟いていた。続くフォロワーからのリプライも『君のほうがかわいいよ!』『ダサいのとなんで付き合ってんのはよ別れろ』と彼女を肯定する者たちばかり。
ここで私は自信というものをさらに落として、同性(対人?)恐怖がさらに加速することになるが、今思えば自分で変わろうと思ってこなかった結果ではあるよな〜ともなっているところだ。無理矢理前向きに言うなら、自分が(だいぶ後から、少しずつ)変わろうと思うようになった起爆剤にはなる。
とはいえ、彼女が呟いている場所が問題である。趣味垢で、鍵をしていない。
以前見せてくれた垢なので、言い逃れはできないはずだ。とりあえずミュートとブロックをした。
すると、どうだろう。数日後に再び訪れたときにはこういう呟きをしていた。
『垢バレしてなんかブロックされたんだけどぉw 私、誰のアカウントが見ていたりブロックしていたりしたのかがわかるツール使ってるからわかるしww』
いや、ごめん。以前、見せてたじゃん。
そんなことも忘れてしまったんだと思った私の中で、『かわいいあの子』から『その程度の女』に成り下がった。なら、私も忘れてやろうと、それ以降、彼女と話すことも、彼女の趣味垢を覗くこともなくなった。
それから2ヶ月後。
彼女は突然学校を去ることになる。
まあ、家庭環境と私のせいにしながら退学したのだろう。私は私でその事実を先生に言ってこなかったので、これ以上掘り返すようなことはしなかった(※小学校でロクな対応をしてくれなかったこともあって、相談は基本したくない面倒な人間になってしまいました)。彼女と共通で話していた友人も、これから半年ほど口を聞かない状態になっていた(※この男友達とは現在も連絡を取り合う仲なのでご心配なく)。
その後の彼女を知る由もない。
だが昨年、彼女について近況を知ることになる。
その近況は、やはり友人からだった。
友人は今でも彼女と連絡を取り合っている。
たまに家に呼び出されていたようだ。
しかし、次の近況を聞いて、ほう?となる自分がいた。
まず、彼女は妊娠したこと。
それから、付き合っている男と同棲するため、引っ越しをしたこと(友人はこの手伝いをしていた)。
へぇ、の後に思わず声にした言葉は
「おめでとう」だった。
彼女に向けてなのか、これから生まれる子に向けてなのかはわからないが、少なくとも嫌な感情が湧いてくることは一切なかった。
なんだ、ちゃんと『幸せ』掴んでるじゃん。
己の一時の欲望のために私を材料にして、『幸せ』を感じているものより全然いいやつじゃん。と。
だからこれ以上の情報を得ることもなく、彼女についての会話は終わった。
許すことはできない。これからもだ。
しかし、それは過去の出来事であり、彼女にもう会うことがないだろうから、今語るべきはこのドロリとした事実ではない。彼女の現在と未来を、良い方向に導いてほしいという願望であろう。
なんなら彼女にはこれからも元気に生きててほしいと思う。
私も、何があろうとこれまでのようになんとか『のほほん』と生き抜いてみせてやんよ、と。