僕を産んだのは毒親だった
「毒親」の言葉を知ったのは最近。
僕の母親は僕を側に置きたがった。
僕が遊びたい盛りでも
「休みの日くらい側で私を手伝いなさい!」
自分は掃除も選択も料理もしない。
手伝いではない、僕を家政婦にしたかった。
そして、
何か気に入らなければ僕を殴る。
小さな身体がぶっ飛ぶくらい殴る。
ぶっ飛んだ僕を蹴り上げ、胸ぐらをつかんで身体を起こし、気が済むまで僕を罵りながら殴った。
僕は抵抗出来ない。
何故なら「母親に抵抗してはならない」という不文律が有ったから。
よその家でも同じだと思っていた。
僕が不出来だから殴られ、罵倒されるのだと思っていた。
母親が体調を崩すと、小学校低学年の僕に看病させた。
「氷枕がぬるい!」
「おかゆが不味い!」
「お前が具合悪い時にあんなにしてやったのに、同じ事が出来ないのか!」
感謝など無かった。
僕の味方は、近所のおばさんや学校の先生だった。
僕は味方されてる自覚は無かったが、なるべく遠ざけてくれていた。
そんな僕も、当たり前に成長する。
暴力は減ったが、罵倒される事が多くなった。
大学に進学し、理論武装を手に入れた僕は、母親の言葉を次々論破し、罵倒される事も減った。
卒業し就いた仕事が楽しくて、母親と顔を合わせる事が減った。
母親は父との離婚を機に遠方に引っ越し、僕にもやっと穏やかな時間が流れ始めた。
しかし、長年の人格否定の影響で僕のメンタルが壊れた。
投薬治療しながら働いたが、結局辞職。
生涯、薬を飲み続ける身体になった。
僕は母親のオモチャでサンドバッグ
それ以外には存在理由は無いらしい
バカバカしい人生だ。