父親の話
終戦の年の12月に生まれて、高度成長期に思春期を過ごした。
幼くして父(私の祖父)が亡くなって、一番上の兄と母親が稼いで養ったんだと思う。
学生運動の波にのって、友人たちと学校の講堂に立てこもり、酒とたばこを酌み交わしながら、日本の未来について、世界の情勢について、熱い議論を交わしたのだと思う。
彼の時間はそこで止まった。運動と闘争の末、彼は逮捕された。
友人たちはあの時の志をエネルギーにして、起業したり 世界を舞台に活躍したり。でも彼は、そんな勇気はなく、酒とたばことジャズと あの頃の思い出にしがみついてうじうじとその後を過ごした。
恥ずかしすぎて、子供を抱きしめることすらできない男だ。ただ鼻で、恥ずかしそうに苦笑するだけの男だ。
想いのたけをつづろうとしたノートは、肝心なところにさしかかるとペンがのたうち回ったただの落書きで読めやしない。
25年、勤め上げた会社を引退したあとは、ひたすら酒とたばことジャズを浴びながら、学生のころに想いを馳せ、うつ病になって そのまま死んだ。
父は私を嫌いなのだと思った。触れようともしてくれない、目を合わせてくれもしない。ただ恥ずかしかったんだ なんて思えるようになったのはつい最近。
公園で遊んでる父と子を見るたびに、アレをしてほしかったんだよなあ と寂しくなる。
こんどお墓参りにでもいってみようか。 いや もうちょっと 心の整理がついてからかな。