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メンタルヘルス
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2年前
生きる目的
何も思い浮かばない。生きがいはいくらでも探せるけど、それらを集めることをこの先何年も続けたいとは思えない。考える度に苦痛が頭を埋め尽くす。辛い、しんどい、面倒くさい、解放されたい。何で他の人は涼しい顔して生きていけるんだろう。 賢い人達は生きがいを追い求め続けてこの虚無感を埋めている。私もそうすればいい。そうして考えないようにして日々を過ごし、気づいた頃に死んでいるのがきっと理想的な暇つぶしなんだ。 でも私には無理。ふと立ち止まると浮かんでくる。生への渇望なんて持ち合わせてはいない。神様は何で持たせてくれなかったんだろう。きっと何か悪いことをしたんだろうね。だって逃れる手段さえ私には難しいものばかりなんだから。 不自由はない、むしろ人と比べれば自由な生活を送っているし解放的とすら言えるのだと思う。多分中途半端なんだ。もっと辛い環境だったら、もっと生きがいにまみれた環境だったら、こんな思いをせずに済んだのかもしれない。他人の庭を羨ましがっているだけなのかもしれない。でもその庭を手に入れた時、同じことを考えているんだろうとも思う。 きっと私は面倒な人間だ。この先もずっと同じことを考え続けていく自信がある。そしていつかは考えることすらできなくなっていく。そういうものなのかもしれない。
無気力
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Mozart
2年前
面倒な人間って最高だ、と思う。大通りを行けばいいのに、全く反対の方向の道の無い原っぱの方へ進んだり、いつまでも立ち止まってあらぬ方を見続けたり。 そんな見栄えの良くない生き方の方が、後になって楽しく思える時が来るのが不思議だ。
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shitake
2年前
僕も最近生きがいが感じられません。生への渇望もありません。でも生への渇望がなくなるほど死への恐怖が強くなりました。きっと上手くいっている人は生きるとか死ぬとか頭にあることが少ないんだと思います。僕もたまにですが、そんなこと考えていなかった昔に戻りたいです。戻りたいと思っている時点でむりですが。
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2年前
@Mozart もしいつか私のこの面倒も笑って過ごせるようになったとしたら、それはきっと幸せなことなのでしょう。どうやら進むしかないようですし、正気を保てる内はその希望を糧にこいつと一緒に過ごしてみます。
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2年前
@shitake 住処は限られているのかもしれませんが、一度でも頭に住み着いてしまうとどこまでも追いかけてきますよね。今度こそ追い払ったと思っても気が抜けた瞬間を狙って何度でも襲いかかってくる。本当に面倒です。 諦めて付き合っていくか、絶対に追いかけてこれないところに逃げるか、あるいは退治するか。人によって選択は違うと思いますが、私はただ怯えるだけでその選択すらできていないようでした。。。